徒労の幾何

座標の泥沼

さて、君。最近のビジネス街で囁かれる「生産性の向上」などという呪文を聞くたびに、私は自分の胃が、安物の合成酒を無理やり流し込まれた時のような、鈍重で不快な拒絶反応を示すのを感じるんだ。

猫も杓子も「DX」だの「リスキリング」だのと騒ぎ立てているが、あれは要するに、出口のない迷路の中で「もっと速く走れば壁を抜けられるはずだ」と互いに励まし合っている、哀れな集団ヒステリーに過ぎない。労働の本質とは、もっと無機質で、もっと絶望的な数学的構造の上に成り立っているというのに。今夜は、この冷めた枝豆の皮でも剥きながら、労働という名の「タスク多様体」を、その皮と同じくらい無慈悲に解剖してみようじゃないか。

我々が日々、崇高な義務感を持って「仕事」と呼んでいる営みは、実はきわめて単純な物理現象に置換できる。それは、ある確率分布のパラメータ空間を、目的の座標に向かって這いずり回るプロセスだ。マーケティング戦略を練るのも、部下の不始末を謝罪して回るのも、あるいはエクセルの方眼紙を一ミリずらすのも、情報幾何学の視点から見れば、それは「タスク多様体」という高次元の曲面上を移動する点に過ぎない。

ここで致命的に重要なのは、我々の「認知空間」という歪んだ器が、果たしてそのタスクが要求する曲率と一致しているかどうかだ。例えば、スーパーの半額惣菜コーナーで、どの列が最も早く済むかを見極める程度の認知負荷であれば、我々の多様体は平坦だ。最短経路はユークリッド空間上の直線として現れ、我々は迷いなく「列」という名の測地線を進むことができる。ところが、これが「締め切り直前の無意味な会議の議事録作成」になった途端、空間は複雑怪奇に歪み始める。

上司の機嫌、同僚の嫉妬、空調の不快な音、そして自身の空腹。これらの変数を正確に処理し、最適解を導き出すためには、脳内のフィッシャー情報行列が爆発的な値を叩き出さなければならない。フィッシャー情報量とは、いわばそのパラメータに対する「感度」だ。もし君の認知空間がそのタスクに対して適切な感度を持っていないなら、どれだけキーボードを叩き、どれだけ誠意を見せたところで、君の移動距離は幾何学的にゼロに等しい。

これを世間では「無能」と呼ぶが、学術的には単なる「幾何学的不適合」である。深夜、疲労で重くなった高価な革の鞄に、熱を持ったノートPCを詰め込んで帰路につく君の姿は、目的地を見失った幾何学的な迷子そのものだ。座標軸の定まらない空間で、ただエントロピーを撒き散らしている。

馬鹿みたいに。

歪んだ曲率と肉体の蒸発

なぜ、これほどまでに人間は「働いても報われない」と感じるのか。その正体は、認知空間の「曲率」にある。

情報の最短経路を導き出すフィッシャー情報行列は、リーマン幾何学における計量(Metric)として機能する。つまり、我々が「一歩」進んだつもりの努力が、実際にどれだけの情報的価値を生んだかを定義する定規だ。ところが、この定規は、昨日の飲み会で上司に注がれた粗悪なアルコールのせいで、グニャリと歪んでいる。

熟練の職人が難解なトラブルを一瞬で解決するのは、彼らの認知空間がそのタスクに対して「負の曲率」を持っているからだ。空間が縮退しているため、一見遠く見えるゴールが、実は双曲幾何学的に目と鼻の先にある。一方で、不慣れな新人が10時間かけて作成した資料が、鶴の一声でゴミ箱行きになるのは、彼の空間が「正の曲率」を持ち、目的地が球面の裏側のように無限に遠ざかっているからに他ならない。それは、出口のないドン・キホーテの迷路を、両手に重い買い物カゴを下げて永遠に彷徨う不快感に似ている。

ここで、世の「やりがい搾取」という致命的なバグが発生する。経営者はよく「情熱」や「モチベーション」を求めるが、あれは物理的に見れば、摩擦係数の高い路面を無理やりエンジン全開で走らせるようなものだ。ドーパミンやノルアドレナリンといった神経伝達物質の過剰分泌は、単なる脳内の電気的ノイズであり、それは君の体温を上げ、脂ぎった手汗をマウスに擦り付けさせているだけに過ぎない。

熱力学の第二法則に従えば、労働とは、局所的な秩序(成果)を生むために、より大きな無秩序(疲労と、脱ぎ捨てた靴下の異臭)を周囲に撒き散らす行為だ。君が素晴らしい企画書を書き上げた時、その裏で君の脳細胞は、スマホの安物バッテリーが熱を帯びて膨張していくのと全く同じプロセスで、修復不可能なダメージを負っている。タンパク質が変性し、神経回路が焼き切れ、二度と戻らない可塑性を失っていく。

なんだこれ。

それなのに、世の中には体圧を分散させる椅子に腰掛け、脊椎のS字カーブを死守しながら「生産性が上がった」と悦に浸る手合いがいる。物理的な荷重をメッシュ素材に逃がしたところで、認知空間の歪みが解消されるわけでもあるまいに。あるいは、一振りが数万円もする万年筆で、どうでもいい定例会議のメモを取る。紙への摩擦抵抗を減らしたところで、思考の測地線が最短になるわけではない。彼らは単に、自分の認知的な無能さと空虚さを、高価な工芸品というノイズでデコレーションしているだけだ。それは、夏場の腐りかけた肉に高級な香水を振りかける行為と何ら変わりはない。臭いは消えず、ただ混ざり合ってより不快な混沌を生むだけだ。

均一化という名の救い

結局のところ、我々に残された道は、もう、ろくなものじゃない。

一つは、自分の認知空間を徹底的に削ぎ落とし、特定のタスク多様体に最適化された「部品」に成り下がる道だ。つまり、個性を捨ててフィッシャー情報行列を単一の次元に特化させることだ。これは、名前も顔もない巨大な統計モデルの一部になり、ただ入力を出力に変換するだけの肉塊になることを意味する。そこには苦悩もなければ、歓喜もない。あるのは入出力のログだけだ。

もう一つは、労働という営みそのものが、宇宙の熱的死を早めるための無意味な撹拌運動であることを認め、冷徹な観測者に徹する道だ。

君が明日、満員電車で隣の男の加齢臭に耐えながら会社に向かう時、窓に映る自分の顔を眺めてみるといい。そこにあるのは「希望に燃えるビジネスマン」ではなく、情報幾何学的な不適合によってエネルギーを散逸させ、じわじわと蒸発していく一つの熱力学系だ。その顔は、コンビニの業務用レンジで加熱されすぎて形が崩れた弁当の具材のように、締まりがなく、ひどく虚無的だ。

最短経路など、最初から存在しない。我々はただ、確率分布の霧の中を、エラーを吐き出しながら彷徨うだけの出来損ないの処理系なのだ。

帰りたい。

さて、大将。この薄いハイボールをもう一杯。氷が溶けて濃度が均一化していく。これこそが、この世で唯一、嘘をつかない「情報の安定」というやつだ。

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