前回、組織という名の腐敗した肉塊が、情報の伝達ラグによって如何にして自壊するかを論じたが、今回はその肉塊を構成する個々の細胞、つまり貴様ら家畜の「脳内」で起きている、さらに救いようのない熱損失について話をしよう。
いわゆる「働き方改革」とかいう、奴隷の首輪を軽量化するだけの茶番めいたスローガンのもとで、我々は日々タスクを原子レベルまで細分化し、付箋を貼り、ToDoリストという名の「終わりのない経典」を埋めては消すという事務的な自慰行為に耽っている。だが、そのリストが長くなればなるほど、貴様らの精神は「茹で上がって伸びきったうどん」のようにコシを失い、霧散していくのを感じないか。これは根性論でも精神論でもない。ただの残酷な物理法則、収支報告だ。
熱力学的に見れば、仕事の粒度を細かく設定するという行為は、システム内の「状態数」を指数関数的に増大させ、エントロピーの増大を加速させる自殺行為に他ならない。
遷移
我々がタスクAからタスクBへと意識を切り替える瞬間、そこには必ず「遷移熱」が発生する。コンピュータの世界で言うコンテキストスイッチのオーバーヘッドだ。それは、深夜の静寂の中で、隣人の壁を叩く音に一瞬で集中を奪われ、殺意にも似た苛立ちを覚えるあの感覚に等しい。メールを一通返し、その直後にスマートフォンの画面を無意味に点灯させ、さらに数分後にSlackの通知音に怯えながらExcelのセルを埋める。この一連の無秩序な往復運動は、脳神経における自由エネルギーを、排気ガスとして撒き散らすだけの行為だ。
「マルチタスク」などという言葉があるが、あれは詐欺師の作った造語だ。人間の脳は、シングルコアのCPUと同様に、ただ高速で対象を切り替えているに過ぎない。そしてその切り替えのたびに、貴様の脳内にあるグルコースは「セットアップコスト」として浪費される。意志決定とは、脳内ニューロンが特定のパターンで発火し、不確定な未来を一つの現実に固定する作業だが、悲しいかな、宇宙は固定を嫌う。
一つの決定を下すたびに、貴様の脳は、スーパーのレジ待ちで「どの列が一番早いか」を悩み抜いた末に選んだ列が全く動かず、隣の列がスムーズに流れ出した時の、あの血の気が引くような虚脱感と同質の熱を放出する。その熱は二度と仕事には変換されない。貴様が「生産的」だと思い込んでいるスイッチングのたびに、貴様の寿命は、ガスの切れかけたコンビニの安物ライターが散らす火花のように、虚しく削り取られているのだ。
なんだこれ。
粒度
タスクを細分化する(量子化する)という行為は、一見すると管理可能なサイズに問題を切り分ける賢明な手法に見える。だが実際には、「砂浜の砂粒を一つずつ数えてエクセルに入力する」ような狂気だ。管理職という名の無能な監視者たちが喜々として導入する進捗管理ツールは、仕事を進めるためではなく、貴様らの「迷う時間」を増大させるために機能している。
細かすぎる粒度は、もはや仕事ではない。それはノイズだ。キーボードを叩く打鍵音、空調の唸り、隣の席の同僚が鼻をすする音。そういった環境雑音と同レベルにまで細分化された「マイクロタスク」は、処理される対象ではなく、単に脳を摩耗させるだけの摩擦抵抗となる。貴様らの脳は、本質的なクリエイティビティや思考に回すべきエネルギーを、単なる「現在の状態を維持すること」に浪費させられている。
これは、雨の日に靴の中に水が浸みてくるあの、じわじわとした不快感に似ている。一歩歩くごとに体温が奪われ、目的地に着く頃には何のために歩いていたのかさえ忘れている。最近では、この熱力学的な死を回避するために、人間工学に基づいた豪華な処刑台に座って、微細なタスクの海を漂うのが流行りらしいが、椅子に三十万も払ったところで、腰の痛みは消えても魂の摩耗は止まらない。そんな金があるなら、タスクを半分にして酒を飲めばいいものを、貴様らは高いメッシュの座面に尻を預けて、十円の価値もない進捗報告を入力し続ける。これ以上の喜劇があるだろうか。
馬鹿みたいに。
散逸
「意志」というものを、人間は何か崇高な、魂の火花のように捉えがちだが、それは単なる神経科学的な「バグ」あるいは、システムが崩壊(熱的死)を免れるために必死に掻き集めた、残飯のようなエネルギーのゆらぎだ。物理学者マクスウェルが提唱した「悪魔」が存在しない限り、情報を整理し、秩序を保つには外部からのエネルギー注入が不可欠であり、その代償として周囲に無秩序(エントロピー)をぶちまける。
我々が「今日はもう何も考えたくない」と居酒屋で管を巻くとき、それは脳内エントロピーが最大値に達し、情報の勾配が完全に消滅した廃墟と化している状態を指す。この状態において、人はもはや個人ではなく、ただの炭素と水分の塊に成り下がる。意志決定の不可逆性とは、一度散逸したエネルギーは二度と「やる気」という名の整った配列には戻らないという残酷な真実だ。週末にどれだけ泥のように眠ろうが、月曜の朝に絶望が消えていないのは、不可逆な化学変化が既に起きてしまったからに他ならない。
効率化という甘美な幻想は、摩擦のない斜面を夢想する物理学の初期段階のような、幼い妄想だ。現実の労働には、常に粘性があり、泥濘があり、そして絶え間ない熱の流出がある。仕事を細分化して最適化しようと足掻くほど、貴様らは「管理という名の摩擦」によって、自らを焼き付かせて死ぬのだ。
帰りたい。
結局のところ、人生という名の巨大で破綻したプロジェクトにおいて、唯一の正解は「何も決断しないこと」だ。だが、社会という巨大な熱源が、貴様らをオープンシステムとして強制的に稼働させ続ける。タスクという名の薪をくべられ、遷移という名の火花を散らし、灰になるまで踊らされる。
この不可逆な流れの中で、せめてもの抵抗として、私はこの氷が溶けきって薄まったハイボールを飲み干すことに決めた。これもまた一つの無意味な意志決定であり、私の脳内エントロピーをさらに一単位、ドブに捨てる行為だ。明日になれば、また新しいToDoリストという名の遺書が届くだろう。あの、機能だけが無駄に多い高価な革の手帳に、やるべきことを書き込む瞬間の、あの吐き気を催すような高揚感。あれは、自らの処刑時間を刻む時計の針を、自分の手で進めるようなものだ。
酒が足りない。

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