散逸構造

「伝統ある組織」だとか「永続的な公共事業」だとか、耳当たりのいい寝言をほざく連中がこの国の夜の赤提灯を汚している。薄まったハイボールを流し込みながら、誰もが自らの所属する「器」の安定を願っているようだ。だが、この世の仕組みを少しでも理解していれば、それが執行猶予付きの死刑宣告に狂喜しているだけの、滑稽な足掻きにしか見えないはずだ。

前回の独り言では、個人の時間が不可逆的に削り取られる絶望について語った。今回は、その無残な時間の犠牲の上に成り立つ「組織」という名の化け物を、冷徹な現実というメスで解体してみよう。

散逸

組織とは、物理学的に言えば、ただの「無駄飯食いのシステム」だ。外部からエネルギー――つまり、お前たちの血税、若者の貴重な労働力、そして家庭を犠牲にして得た端金――を取り込み、内部で「秩序」という名の見栄えを整え、その代償として莫大なゴミを周囲に撒き散らす。

この不毛なプロセスを、世間では「事業」と呼び、崇めたてまつる。

だが、考えてもみてほしい。このエネルギー代謝は、本質的に「汚物」の垂れ流しだ。かけ蕎麦一杯で十分な栄養摂取ができるはずなのに、わざわざ脂ギトギトのラーメンを完食し、その後に胃薬を飲みながら「食の文化だ」と強弁する。今の組織がやっているのは、まさにこれだ。無意味な会議に数時間を費やし、結論の出ない報告書を量産し、そのストレスを解消するために高い酒を飲む。エネルギーを無駄に浪費し、熱を出し、周囲の温度を不快に上げるだけの存在。

馬鹿みたいに、誰もがこの「熱」にうなされている。

組織が「公共性」という言葉を吐き始めたら、それは末期症状の合図だ。自力で食っていけなくなった寄生虫が、宿主である社会全体に「俺を養うのは義務だ」と喚いているに過ぎない。自分たちが排泄したエントロピーを、隣人の平穏な生活というヒートシンクに押し付けているだけなのだ。その醜悪な依存関係を「社会貢献」と呼び変える厚顔無恥さには、吐き気すら覚える。

秩序

では、その「秩序」の内実とは何か。それは、予測可能な退屈の積み重ねだ。誰がどの席で死んだ魚のような目をしているか、どのタイミングで上司に媚びを売るか。この「変化のなさ」こそが組織の価値だと信じられている。

しかし、この世の理は無慈悲だ。放っておけば、あらゆるものは壊れ、腐る。組織という器を維持するために、我々はあまりにも多くの「儀式」を強いられる。

たとえば、最近の若者がなけなしのボーナスを叩いて買い求める、あの職人が手作りしたというフランス製の高価な革の手帳カバーを見てみろ。ただの牛の死骸をなめした皮を、給料の数日分を犠牲にして手に入れる。あんなものに、これから増大する一方の借金や、将来への不安を書き留めたところで、何が変わるというのか。経年変化という名の、単なる物理的な劣化を「エイジング」と呼び、愛着を感じているフリをする。それは、崩壊していく会社の石垣を眺めて「風情がある」と嘯く、救いようのない老兵と同じ、甘美な現実逃避だ。

明日、その手帳に書く予定があるのか? 誰かに指示され、魂を削られるだけの「予定」が。

なんだこれ。

我々が「知能」と呼んでいるものも、結局は不快なノイズの中から、自分に都合のいい嘘を聞き取るためのフィルターだ。だが、今の高度に自動化された、感情を排した数式が支配する環境では、人間はもはや判断する主体ではない。システムが吐き出す熱ゆらぎ、あるいは攪拌機としての役割しか期待されていない。非平衡な状態――つまり、死なない程度に生き続ける状態――を維持するためだけに、ランダムに騒ぎ立てるだけの粒子。それが、毎朝満員電車に詰め込まれる現代人の正体だ。

極限

これからの時代、我々が「人間らしさ」と呼んでいたものは、徹底的に削ぎ落とされる。感情を計算に入れない、純粋な効率の追求。そこには「公共の利益」などという曖昧な幻想が入る隙間はない。

自動化されたシステムにとって、組織の維持とは、単なる最適化の計算に過ぎない。そこでは、人間の「志」や「ビジョン」といったものは、摩擦係数を上げるだけの邪魔なノイズとして処理される。平衡(死)に陥らないために、絶えず自分を壊し、再構築し続ける。だが、それは進化ではない。ただの「生存のためのもがき」だ。

我々は、その加速する計算速度に振り落とされる。どれだけ高価な筆記具を握りしめようと、迫り来る「熱的な死」を遅らせることはできない。会議室で飛び交う熱い議論も、物理学的には単なる空気の振動であり、部屋の温度をコンマ数度上げ、エアコンの電気代を増やす以上の意味はないのだ。

もう、ビールを飲ませてくれ。

組織を維持するために、我々はあまりにも多くの大切なものを燃やしすぎた。家族との時間、健康な内臓、そして羞恥心。その灰の中から、かつての美しい理想が蘇ることは二度とない。残るのは、冷え切った機械の唸り声と、意味を失ったハンコだらけの書類だけだ。

散逸を止めることはできない。秩序を願えば願うほど、崩壊の熱は高まっていく。この滑稽な円環を、我々は「社会」と呼び、自分を騙し続けている。

明日もまた、無意味なエネルギー代謝のために、他人の吐息が充満した満員電車という名の熱交換器に揺られることにしよう。

帰りたい。それ以外の感情は、もう残っていない。

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