前回は、組織という名の巨大なアメーバがいかにして個人の時間を捕食し、消化不良のまま「合意」という名の排泄物を生み出すかについて、安酒を煽りながら議論したのだったか。いやはや、失敬。あの晩の二日酔いは、私の海馬に不可逆な損傷を与えたらしい。脳細胞が死滅していく感覚は、まるで古いOSがメモリ不足で強制終了を繰り返すような、情けなくも静かな絶望だった。
今日は、その「消化」のプロセスをもう少し理的に、あるいは無慈悲に解体してみようと思う。諸君が日々、エクセルやスラックの通知という名の銃弾を浴びながら格闘している「仕事」という代物。これを精神論や根性論で語るのは、スマホのバッテリーが劣化しているのに「祈れば充電が持つ」と信じるくらいに滑稽な話だ。
座標
我々が「タスク」と呼んでいるものは、実のところ、情報幾何学における確率分布の空間――すなわち「統計多様体」の上に浮かぶ一点に過ぎない。
例えば、朝一番にメールを捌くという行為。これは「未読という無秩序」から「既読という秩序」へ、状態を遷移させる演算だ。諸君はそれを「自分の意志」でやっているつもりだろうが、物理学的に見れば、それは単なる座標移動だ。タスク空間という名のグニャグニャに曲がった膜の上を、重い足取りで這いずり回っているだけなのだ。この膜は、決して平坦ではない。上司の気まぐれ一つで、それまで歩いていた平原がいきなり垂直な壁へと変貌する。あるいは、終わったはずのプロジェクトがゾンビのように蘇り、地面が泥沼化して足を取られる。
諸君は、この程度のプラスチックの塊を叩くことで世界を変えているつもりかもしれないが、その指先が描く軌跡は、多様体上にへばりついた惨めな虫の足跡と変わらない。メールを一行書くたびに、諸君の脳内では膨大なニューロンが発火し、糖分を消費し、熱を出す。そのコストは、コンビニで150円の安コーヒーを買うために、30分もレジ待ちの列に並ばされる時の苛立ちに等しい。ただ「了解しました」と打つためだけに支払われる神経伝達物質の浪費。それはまるで、安物の消しゴムで黒ずんだ紙を必死に擦るような、汚くて不毛な摩擦熱だ。
この空間の曲がり具合を決定するのが「フィッシャー情報計量」という、いささか冷徹な物差しである。仕事が捗らない時、諸君は「やる気が出ない」などと甘えたことを抜かす。だが、本質はそこにはない。タスクからタスクへ移動する際、この多様体上の距離が異常に長くなっているだけなのだ。かけ蕎麦を食うつもりで店に入ったのに、いきなり「二郎系、全マシで」と突きつけられた時のあの絶望的な脳のフリーズ。あれは認知のパラメータが急激な変換を強いられ、フィッシャー情報量が爆発した結果に他ならない。座標を一つ動かすたびに、我々の寿命は確実に削り取られ、その見返りに得られるのは、次の座標へ移動するための許可証だけだ。これこそが労働の正体であり、座標移動の代償として支払われるのは、諸君の乏しい預金残高ではなく、二度と戻らない「時間」という名の血肉である。
馬鹿みたいに。
距離
効率的なワークフローとは何か。それは、この多様体上を「自然勾配」に沿って最短距離で移動することだ。
我々の脳という演算装置は、極めて高コストで熱効率が悪い。ちょっと複雑な計算をさせれば、すぐに前頭葉がオーバーヒートを起こす。最近の異常な価格設定の4Kモニターを見たまえ。あんなものをデスクに鎮座させて、一体何を表示するというのか。高精細なフォントで綴られた、中身の空っぽな進捗報告書か? 道具が物理的に進化しても、それを見つめる眼球の奥にあるニューロンの反応速度は、石器時代から大して変わっていない。むしろ、道具の高性能化は情報の解像度を無駄に上げ、我々の「情報距離」を不必要に引き伸ばしている。
例えば、資料作成における「微調整」という地獄。フォントサイズを1ポイント変え、図形の色を数%薄くする。この微細な変化に、我々は多大なエネルギーを割く。しかし、情報幾何学の視点から見れば、それは多様体の極めて狭い領域で、無意味に円を描いて回っているだけだ。フィッシャー情報計量は、その変化にほとんど意味がないことを冷酷に示している。それは、牛丼屋で紅生姜を盛り付ける角度に10分悩むようなものだ。腹に入れば同じだというのに、我々は「見た目」という名の虚栄心に認知リソースを簒奪される。
それなのに、組織というシステムは、その不毛な円運動に「丁寧な仕事」というラベルを貼って推奨する。スマホのバックグラウンドで動き続ける、全く使わないアプリがバッテリーを食いつぶすのと同じ構造だ。我々の認知資源は、そうやって「意味のない距離」を移動させられることで、日々磨り減っていく。隣の席で響く、同僚の無駄に高性能なノイズキャンセリング・ヘッドホンを突き抜けてくる独り言に、いちいち殺意を覚えるのは、貴様の情報計量が限界に達している証拠だ。音波は遮断できても、そこに含まれる「他者の存在」というノイズまでは消せないのだから。
なんだこれ。
散熱
結局のところ、労働とは「認知の負エントロピー」を外界に放出し、代わりに「熱(ストレス)」を体内に溜め込むプロセスである。
熱力学の第二法則からは逃げられない。どれほどワークフローを最適化しようとも、タスクをこなせば必ず熱が出る。そして、その熱を逃がすためのデバイス――例えば10万円もするエルゴノミクスチェアに座ったところで、腰の痛みは軽減されても、魂の摩耗は止まらない。あれはただの、高価なヒートシンクに過ぎないのだから。座面がどれほど優しく尻を包み込もうとも、モニターから溢れ出す無意味な情報の奔流が、貴様の脳髄を茹で上げている事実に変わりはない。
我々が目指すべきは「認知コストの最小化」ではない。それは単なる延命措置だ。真に問われるべきは、なぜこの多様体構造自体が、これほどまでに複雑怪奇に設計されているかという点にある。
現代のビジネスシーンにおけるタスク空間は、まるで迷路のような非ユークリッド幾何学を形成している。昨日までの正解が、今日は谷底へと続く崖になる。この不安定な空間で「最適化」を叫ぶのは、嵐の海でスプーンを使って排水を試みるようなものだ。情報幾何学は教えてくれる。最短の道が必ずしも「楽な道」ではないことを。最短距離を行くには、それ相応の「加速」が必要であり、その加速こそが脳というハードウェアを最も激しく損耗させるのだ。それは、100メートルを全力疾走した後に、すぐに算数のテストを解かされるような苦行だ。
帰りたい。
さて、今夜もまた、この曲がった空間の片隅にある赤提灯で、エントロピーの増大に身を任せるとしよう。アルコールによる神経系のノイズ注入こそが、このガチガチに固定された多様体の座標から自分を解き放つ、唯一の確率的摂動なのだから。明日の朝になれば、またフィッシャー情報計量に縛られた、退屈な座標移動が始まる。それまでに、私の脳内メモリが正常にスワップアウトされていることを祈るばかりだ。

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