摩耗

思考とは、高尚な営みなどではない。それは単なる、極めて質の悪い「暖房器具」の排熱作業だ。我々が何かを考え、悩み、結論を出した気になっているその瞬間、頭蓋骨の中で起きているのは、ただの無駄なカロリー消費と、二度と取り戻せない時間の焼却に過ぎない。

散逸:脳という名の、燃費の悪い金食い虫

我々の脳は、体重のわずか2%を占めるに過ぎないくせに、稼ぐそばから全エネルギーの20%以上を貪り食う。まるで、定職にも就かずに実家の子供部屋に居座り、親のクレジットカードで深夜に高額なデリバリーピザとコーラを注文し続ける放蕩息子のようだ。科学的に見れば、脳は外部から栄養という名の「金」を吸い上げ、それを熱という名の「糞」に変えて垂れ流し続ける、非効率極まりない散逸構造そのものである。

自己啓発書を読み漁る意識高い系の連中は、脳を使えば使うほど性能が上がると信じ込んでいるが、それは物理法則を無視したおめでたい妄想だ。思考が走るたびに、我々の神経細胞は確実に焦げ付き、取り返しのつかない微細なダメージを蓄積している。安売りのバラ肉をフライパンで焼けば、そこから溢れ出した黄色い脂がこびりつき、酸化して異臭を放つようになるのと同じ理屈だ。一度加熱してドロドロに溶けた安物のプラスチック容器が二度と元の形に戻らないように、一度「余計な知識」や「世知辛い処世術」を詰め込んだ脳は、二度と無垢な、何も知らなかった幸福な頃には戻れない。

このプロセスは、安アパートの台所に放置された、使い古しの電気ケトルがカルキで白く濁っていく様に似ている。外側からは新品のように見繕っても、内部では熱交換のたびに水垢や不純物が層を成してこびりつき、沸騰までの時間はじわじわと伸び、消費電力だけが跳ね上がっていく。我々が「キャリア」だの「成長」だのと呼んでありがたがっているものは、その「内部抵抗」が増大し、もはや生産的な仕事をするよりも、ブーンという低い唸り声を上げて無意味な熱を発することしかできなくなった、システムの断末魔に過ぎない。賢くなったのではない。ただ、脳という回路が過負荷で焼き付き、焦げ臭い異臭を放ち始めているだけだ。

摩擦:選択肢という名の、すり減った靴底

この劣化を、もう少し我々の生活の苦しさに即して言い換えよう。若い頃の脳が、何でも好きな具材を乗せられる真っ白な「平皿」だとすれば、経験を積みすぎた大人の脳は、十年以上使い倒して油が層になって染み付いた、場末の中華料理屋の「中華鍋」のようなものだ。何を調理しても、以前作った料理の残り香が混ざり、全てが茶色く脂っこい味になる。一度、効率性や損得勘定、あるいは社内政治という名の強烈な「ニンニクの匂い」を染み込ませてしまった脳には、もはや繊細な美徳や純粋な情熱など理解する余地はない。

思考の不可逆性とは、すなわち「貧困」のことだ。新しい情報を得るたびに、脳内の神経経路は一つ、また一つと閉鎖されていく。かつてはあらゆる可能性へ伸びていた道が、今や「定時退社」や「住宅ローンの返済」、「老後の貯蓄」といった現実的で陰鬱な轍(わだち)に集約され、そこから脱線することすら叶わなくなる。満員電車で毎日同じつり革を掴み、同じ景色を見て、同じ場所ですり減った靴底を引きずるように歩く。世間はこれを「洗練」や「専門性の獲得」と呼んで称賛するが、笑わせる話だ。それは単に、脳という回路が特定の負荷に耐えきれず、他の経路が全て断線しただけの結果だ。

例えば、私が今ペンを走らせている、このイタリア製フルグレインレザーを使用したシステム手帳を触るたびに、その滑稽さが身に染みる。ただの牛の死体をなめして加工しただけの代物に、新卒の初任給が吹き飛ぶほどの数万もの金を払って、「使い込むほどに馴染む」などと悦に浸る。皮が伸び、手垢と脂を吸って黒ずんでいく劣化プロセスを、我々は「エイジング」と呼び、さも価値が増したかのように自分自身を騙している。思考も全く同じだ。偏屈な持論、凝り固まった価値観、若者への説教。それらは知性ではなく、単なる脳の「シミ」であり、何度洗っても拭い去ることのできない、精神的な「加齢臭」なのだ。

崩壊:均一化される、ぬるい残飯

ビジネスの世界で「イノベーション」という言葉が壊れたレコードのように連呼されるのは、組織というシステムが、もはやこれ以上の熱を発することができない「熱力学的な死」を本能的に恐れているからだ。しかし、死にゆく者が無理に体を動かして若作りをしようとすれば、それだけ余計な酸素を消費し、細胞の腐敗を早めるだけである。会議室で行われる長時間のブレインストーミングなど、エントロピーを増大させるだけの儀式に過ぎない。

熱力学第二法則は、月末に訪れる借金取りのように正確で、慈悲がない。情報の処理には必ずエネルギーの散逸が伴い、それは時間の矢となって、我々の寿命を確実に削り取っていく。熟練の職人が無駄のない動きを見せるのは、彼が神の領域に近づいたからではない。それ以外の選択肢を試す体力を失い、脳が既に「コスト不足」として無駄な動きを切り捨ててしまったからだ。それは洗練された技術ではなく、情報の墓場であり、可能性の死体安置所だ。考えれば考えるほど、我々は自由を失い、物理的な必然性という名の狭く暗い檻へと自分を追い込んでいく。

居酒屋のテーブルに放置された、安っぽいハイボールの氷が溶けきり、味がボヤけてぬるい液体になっていく。このグラスの中で起きていることは、宇宙の終わりそのものだ。濃度は均一化され、秩序は失われ、ただのぬるい水となる。私の脳内でも、今この瞬間に、数百万のニューロンが火花を散らし、二度と再生されない貴重なグルコースを無意味な熱に変えて捨てている。

次に会う時、私の脳はさらにすり減り、より偏屈で、充電すらままならない放電しっぱなしのジャンク品のバッテリーのようになっているだろう。それが「人間」という、欠陥だらけの金食い虫に与えられた、唯一の出口のない運命なのだから。

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