世の中は、無能が効率化を叫び、無恥が生産性を説く喜劇の舞台だ。連中が口角泡を飛ばして「ウェルビーイング」だの「エンゲージメント」だのと横文字を並べるたび、私の胃裏では安酒が逆流するような不快感が込み上げる。彼らは人間を、給油さえすれば無限に走り続ける規格化された軽自動車か何かだと勘違いしているらしい。愚かしいにも程がある。
現代人の疲弊は、単なる過労ではない。それは、生存という名の「計算コスト」が、個人の支払能力を遥かに超過した破産宣告に他ならない。今日は、酔っ払いの戯言として聞き流してもらって構わないが、君たちの脳内で起きている「詰み」の構造について、少しばかり数理的な補助線を引いてやろうと思う。
粘性
組織という名の巨大なシュレッダーにおいて、君たちが直面しているのは、単なるタスクの山ではない。それは情報の「粘り気」だ。かつての労働は、穴を掘り、それを埋めるという、単純かつ明快な重力との対話だった。筋肉痛はあっても、そこにはユークリッド幾何学的な「直線」が存在した。努力と成果の距離が見えていたのだ。
だが、今の惨状はどうだ。
たかが一つのメールを返すために、三つの承認を得て、二つの会議で前提条件をすり合わせ、Ccに入っているだけの顔も知らない役員の機嫌を損ねないような言い回しを推敲し、結局は誰の責任でもない「空気」を読み合う。これは、まるで湿った靴下を履いたまま、終わりのないマラソンを強いられているようなものだ。足を踏み出すたびに、グジュグジュという不快な音を立てて精神が削られていく。この「靴下の湿り気」こそが、現代特有の認知負荷の正体だ。
君たちが「今日は疲れた」と呟くとき、それは肉体が疲労しているのではない。脳という名のポンコツな演算装置が、無意味なトッピング――例えば、上司の気まぐれな思いつきや、プロジェクトの「見栄え」といった、二郎系ラーメンの背脂よりも質の悪いノイズ――を処理しきれず、熱暴走を起こしているのだ。本来の業務という麺に辿り着く前に、その周囲にこびりついた脂の処理だけでカロリーを使い果たしている。
なんだこれ。
その熱は、君たちの自由な時間を焼き尽くし、ただ虚無だけをあとに残す。エクセルの方眼紙を調整することに何の意味がある? その罫線の太さが0.5ポイント変わることで、宇宙のエンタロピーに何かしらの寄与をするのか? 何もしない。ただ君たちの寿命が、モニターの光の中で蒸発していくだけだ。
歪曲
さて、この救いのない悲劇を、少しはマシな言葉で装飾してやろう。「情報幾何学」という、現実逃避にはうってつけの道具がある。甘利俊一博士らが体系化したこの美しい理論では、確率分布の族を微分幾何学的な多様体として捉える。君たちの脳が行っている「推論」や「学習」という行為は、この多様体上を一点から別の点へと移動するプロセスに他ならない。
本来、目的へ到達するための推論は、この曲線上の最短経路、すなわち「測地線」を辿るはずだった。リーマン幾何学的に言えば、計量テンソルによって定義される距離が最小になるルートだ。理想的な環境下であれば、君たちはフィギュアスケーターのように優雅に、問題から解決へと滑走できるはずなのだ。
だが、現実は残酷だ。睡眠不足、食生活の乱れ、将来への漠然とした不安、そして止まらない通知。これらがフィッシャー情報計量――いわば認知空間の「物差し」――を狂わせる。君たちの脳内多様体は、今や穴だらけのチーズか、あるいは大地震でひび割れたアスファルトのように無残に歪んでいる。
かつては一瞬で到達できた「答え」への道筋が、今では霧深い迷路と化している。どれほどアクセルを踏んでも、景色は変わらない。なぜなら、君たちの踏みしめている地面(多様体)そのものが、前進を拒むように歪曲しているからだ。これは、スーパーの特売日に、目当ての卵のパックに辿り着こうとするが、通路を塞ぐカートと、泣き叫ぶ子供と、積み上げられた特売の段ボールに阻まれ、ついに購買意欲そのものを喪失する、あの凄まじい徒労感と同じ構造をしている。
進まないのは君の足が遅いからではない。空間が曲がっているからだ。そのねじれた空間で「努力」をするということは、ただ摩擦熱を発生させて自己を摩耗させる行為でしかない。物理学で言うところの「仕事」はゼロでも、エネルギーは浪費される。壁を押しているのと同じだ。
帰りたい。
摩耗
物理的な消耗品は交換すれば済む。タイヤが擦り減れば買い換えればいい。だが、神経系の摩耗は、負債のように積み重なり、ある日突然、利息と共に君たちを食い潰す。コルチゾールに浸された海馬は萎縮し、前頭前野の機能は低下し、脳はもはや正常な予測を放棄し、ただ「今この苦痛をどうやり過ごすか」という、生存本能の最低ラインへと退行していく。
君たちが深夜、朦朧とした意識でスマートフォンの画面をスクロールし続けているのは、脳が「予測誤差(サプライズ)」を埋めるために、必死で情報を漁っているからだ。自由エネルギー原理に従えば、脳は不確実性を嫌う。だが、そのフィードの中にあるのは、さらに認知の歪みを加速させるノイズと、他人の幸福な虚像だけだ。救いはない。
こうした認知の歪みから逃れるために、我々は浅ましくも、金で解決を試みる。藁にもすがる思いで通販サイトを開き、機能性に乏しい高価な寝具に、自らの人生の修復を託そうとする。その姿は、沈みゆく船の浸水を指先で押さえているかのように滑稽だ。
中身はただのプラスチックの破片やウレタンの塊だぞ? それに数万円を投じることで、「これで明日からよく眠れるはずだ」「生産性が上がるはずだ」という幻想を買う。その消費行動そのものが、すでに君たちの測地線が、商企業の利益という名の「ブラックホール」に飲み込まれている証拠なのだが、悲しいことに、歪んだ脳にはそれが「唯一の救済」に見えてしまう。
結局のところ、我々は情報の重力に押し潰されながら、自らのニューラルネットワークを摩耗させ、その埋め合わせをまた別の消費で補うという、極めて熱効率の悪い永久機関の一部と化している。エントロピーは増大し続け、部屋は散らかり、思考は鈍る。
「帰りたい」という一言さえ、現代社会という巨大な歪みの中では、数理的な最短経路を見失い、誰の耳にも届くことなく虚空へと消えていく。今夜もまた、君たちは歪んだ多様体の上で転び、泥にまみれ、明日という名の「予測不能なエラー」に怯えながら眠りにつくのだろう。せいぜい、その高価なゴミを頭の下に敷いて、情報の曲率がゼロになる、ありもしない夢を見るがいい。

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