深夜二時、ブルーライトに焼かれた網膜がチカチカと痙攣し、胃の底には消化不良のカフェインとコンビニ弁当の脂が重く澱んでいる。君が今感じているその生理的な不快感、それこそが宇宙の真理だ。
労働とは、本質的にエントロピー増大に対する敗北のプロセスである。どれほど高尚なミッションを掲げようと、どれほどスマートなツールを導入しようと、我々がやっていることは「川上から流れてくる泥水をスプーンで掬い、川下へ投げ捨てる」作業に過ぎない。イリヤ・プリゴジンが提唱した散逸構造論を持ち出すまでもなく、君のデスク周辺は常に外部からのエネルギー流入と、内部での無秩序(エントロピー)生成が拮抗する非平衡状態にある。今日はこの、終わりのない熱力学的徒労について、少しばかり冷徹に解剖してやろう。
汚濁の流入と代謝コスト
世の啓蒙書や意識の高いビジネス系インフルエンサーは、「タスクを整理し、優先順位をつけろ」と説く。まるで、整理さえすれば仕事が終わるかのような口ぶりだ。だが、これは熱力学的に見れば詐欺に近い。
「整理」という行為自体が、脳という低効率な生体エンジンにとって極めてコストの高い代謝プロセスであることを彼らは無視している。想像してみろ。君の受信トレイは、三日放置したシンクの三角コーナーだ。腐敗した野菜くず(未読メール)、ぬめりを帯びた魚の骨(緊急の修正依頼)、正体不明の汁(CCに入っているだけの報告)が無秩序に堆積している。
これらを「重要度」や「緊急度」というラベルに従って分類する作業は、二郎系ラーメンのどんぶりを前にして、背脂と麺と野菜を分子レベルで選り分けようとする狂気にも似ている。選別している間にも麺は伸び、スープは冷め、そして店員(上司)は次なるトッピング(追加タスク)を容赦なく投下する。「マシマシ」の掛け声と共に増え続けるカロリーの山を前に、君の脳内リソースは「タスクを処理する」以前に「タスクを認識する」段階で枯渇するのだ。
人間が「やる気」や「集中力」といった精神論でこの濁流に抗おうとするのは、台風の中、傘一本で濡れまいとするようなものだ。整理すればするほど、整理のためのメタ・タスクが増殖し、系全体のエントロピーは指数関数的に増大する。スマホのOSをアップデートして機能を増やした結果、バックグラウンド処理が肥大化してバッテリーが昼過ぎに尽きるあの苛立ち。あれが君の人生そのものだ。
外部化された悪魔と視神経の摩耗
19世紀の物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、分子の運動を見極め、速い分子と遅い分子を選別することで熱力学第二法則を破ろうとする架空の存在、「マクスウェルの悪魔」を思考実験に登場させた。
現代において、この「悪魔」の役割を期待されているのが、AIや高度なタスク管理ツールだ。かつては人間が神経細胞(ニューロン)を焼き切って行っていた「情報の選別」を、シリコンのチップが代行する。これは思考の外部化であり、前頭前野の機能をクラウド上の悪魔に委託する行為だ。悪魔は感情を持たず、疲労も知らず、君が「このクライアント、滅びないかな」と呪詛を吐いている間にも、膨大なログの中から最適解を抽出し、タスクを美しく整列させる。
しかし、ここで一つの皮肉なボトルネックが生じる。悪魔がいかに高速に情報を処理し、完璧な秩序を提示したとしても、最終的な出力先である「君」というハードウェアが旧石器時代の仕様のままなのだ。
ディスプレイから放たれる安物のLEDの光が、角膜を突き刺し、視神経をヤスリで削るように疲弊させる。情報の解像度が上がれば上がるほど、それを受け取るインターフェースである「目」と「脳」への負荷は高まる。情報の選別は悪魔に任せられても、情報の摂取は君が生身で行わねばならないからだ。
先日、あまりの眼球の痛みに耐えかねて、環境光のスペクトルを調整できるデスクライトを導入した。数万円の投資で、単なる「明かり」ではなく「情報の物理的な輪郭」を買ったのだ。するとどうだ、悪魔が提示するタスクの山が、わずかに鮮明に見えるようになった。光の波長が整うだけで、脳内のノイズキャンセリング機能が正常化したかのような錯覚。結局のところ、我々は高度な知的生命体などではなく、光刺激と快・不快の信号に反応するだけの、哀れな感光素子の集合体なのだと思い知らされる。
加速する虚無の回転体
だが、勘違いしてはならない。環境を整備し、AIという悪魔を飼いならし、タスクを秒速で処理できるようになったとして、その先に「安息」が待っているわけではない。
散逸構造論において、自己組織化された秩序(=効率化されたワークフロー)を維持するためには、常に外部からエネルギーを取り込み、エントロピーを排出し続けなければならない。つまり、君が仕事を効率化し、空いた時間を作れば作るほど、系はその真空地帯を埋めるために、より高密度で、より複雑な「新しいタスク」を外部から吸い寄せるのだ。
高速道路を作れば渋滞が解消されるどころか、交通量が増えてさらに激しい渋滞が起きるのと同様に、処理能力の向上は、流入量の増大を招く呼び水でしかない。AIによって単純作業が淘汰されれば、残るのはAIでも判断できないような、粘り気のある、責任の所在が曖昧な、泥沼のような意思決定業務だけだ。
我々が「仕事が捗った」と感じる瞬間のあの高揚感。あれはドーパミン報酬系のバグだ。より速く回転する歯車になれたことへの、奴隷的な喜び。秩序を作るための労働が、さらなる無秩序を呼び込むための燃料となる。我々は、巨大な社会システムという熱機関の中で、ただひたすらに情報を咀嚼し、熱を排出し、摩耗していくだけの交換可能なパーツに過ぎない。
深夜のオフィスに響くキーボードの打鍵音は、エントロピーの荒野で遭難した者たちが発するモールス信号だ。だが、救援は来ない。なぜなら、その信号を受け取って処理するのもまた、どこかの誰かのタスクとして積み上がるだけなのだから。
さて、モニターの電源を落とせ。これ以上、網膜を焼いても無駄だ。君というシステムが完全に熱停止する前に。

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