おや、そんなに熱心に「To-Doリスト」を睨みつけてどうしたんだい。まるでその薄汚れた紙切れ一枚に、宇宙の無秩序を食い止める魔法の呪文でも刻まれているかのような顔をして。まあ、隣の席に座ったよしみだ。まずはその安物のビールを飲み干すといい。我々が日々捧げている労働という名の「緩やかな死」を祝うためにね。
世のビジネスマンたちは、タスクを片付けることを「価値の創造」だと信じて疑わない。君もそうだろう? 生産性、効率、達成感。それらの言葉が、どれほど物理学的に空虚か考えたこともないはずだ。冷徹な熱力学の眼で見れば、君がスプレッドシートのセルを埋める行為も、無意味なメールに返信する行為も、本質的にはイリヤ・プリゴジンが提唱した「散逸構造」の維持活動に過ぎないんだ。生命、あるいは企業組織というシステムは、外部から高品位な自由エネルギー――給与、電力、あるいはコンビニの弁当――を貪り食って、せっせと「負のエントロピー」を取り込み、代わりにシステム内部で生成されたゴミ(エントロピー)を外界へ排熱することでしか、その形を保てない。
つまり、君の崇高な労働とは、摂取したコーヒーと定食を「意味」という名の熱エネルギーに変換し、最終的に「既読」や「承認」という排気ガスを世界に撒き散らす、極めて燃費の悪いエンジンそのものなんだよ。
秩序の虚飾
そもそも、なぜ私たちは「タスク」なんてものを定義し、リスト化したがるのか。それは、我々の脳という神経ネットワークが、予測不可能な未来という「ノイズ」を病的なまでに嫌うからだ。カール・フリストンの「自由エネルギー原理」を持ち出すまでもなく、私たちの脳は常に世界を予測可能なモデルに押し込め、驚き(Surprise)を最小化しようとあがいている。
タスクリストを作る行為は、いわば二郎系ラーメンのヤサイ・アブラ・ニンニクを、食べる前に整然と別の小皿に分ける作業に似ている。丼に高く盛られている間だけは、それは完璧な「秩序」に見える。構造化され、管理可能な対象としてそこにある。だが、いざ箸をつけ、業務という名の咀嚼を始めればどうだ。スープは濁り、麺は伸び、当初の美しいセパレーションは見る影もなく混沌(カオス)へ帰していく。仕事も全く同じだ。月曜日の朝に立てた完璧な計画は、火曜日の午後の予期せぬ電話一本、クライアントの気まぐれな修正依頼一つで、もはや回復不能な熱的死を迎える。
我々が「効率化」と呼んでいる涙ぐましい努力は、この不可逆な崩壊までの時間を数秒だけ引き延ばすための、あまりに惨めな抵抗に過ぎない。エントロピー増大の法則という宇宙の決定論に対して、付箋紙でバリケードを築こうとしているようなものだ。
馬鹿みたいに。
散逸の力学
組織というのもまた、性質の悪い散逸構造だ。個々の人間がどれほど優秀で、どれほど真面目に秩序を保とうとしても、組織全体としてはエントロピーを増大させ続ける宿命にある。会議という名の「熱交換」を行えば行うほど、決定事項という名の情報量は減り、代わりに「疲労」と「妥協」という名の熱だけが会議室に充満する。君も経験があるだろう? 一時間の定例会議で生まれたものが、また来週も集まるという約束だけだった時の、あの徒労感を。
現代のワークフロー設計は、このエントロピー増大を、あたかもデジタル技術で制御できるかのように装っている。SaaS、チャットツール、プロジェクト管理アプリ。だが、どれほど洗練されたツールを使おうと、システムの複雑性が増せば、それ自体が維持コスト(自由エネルギー)を食いつぶすようになる。結局、君たちはツールを使いこなしているのではなく、ツールのメンテナンスという新たなタスクを、古いタスクの死骸の上に積み上げているだけなんだ。通知を消すための労働、ログインするための労働、パスワードを再設定するための労働。
そして、その果てにあるのが肉体の摩耗だ。見てごらんよ、このアーロンチェアを。たかだか「座る」という受動的な物理現象に対して、25万円もの大金を払って「正しい姿勢」を買い戻そうとする。重力という絶対的な物理法則に抗うために、これほどまでの資本を投下しなければならないとは。脊椎が描くS字カーブを維持するコストが、中古の軽自動車一台分に匹敵するなんて、文明のバグとしか言いようがない。我々は健康を売り渡して金を得て、その金で椅子を買って健康を取り戻そうとしている。
なんだこれ。
最小化の極北
さて、ここからが「教授」らしい皮肉の効いた講義の締めくくりだ。最近流行りの自律型エージェントやアルゴリズムによるワークフローの自動化。あれは、人間の脳が担っていた「自由エネルギー最小化」という苦行を、シリコンに肩代わりさせるプロセスに他ならない。
理論上、もし完璧なアルゴリズムが個別のタスクを最適化し続ければ、人間の介在する余地は「エラー」として排除される。驚きがゼロになった世界。そこでは、君が納期に焦ることも、達成感に浸ることも、隣の誰かと上司の愚痴をこぼすこともない。ただ、定常状態にある熱平衡の海が広がるだけだ。予測誤差のない世界とは、すなわち死の世界だ。
それは、スマホのバッテリーが劣化して、100%からいきなり0%に落ちるようなものだ。情報の移動が止まり、電位差が消え、静寂が訪れる。私たちが求めていた「完璧な効率」の終着駅は、実は生暖かい墓場なんだよ。そこにはもはや、散逸させるべきエネルギーすら残っていない。
さあ、講義は終わりだ。そんな顔をしないで、もう一杯注文したまえ。どうせ明日には、君のデスクも、君の脳内も、また元通りのエントロピーのゴミ溜めに戻っているんだから。その無秩序の中で、精一杯溺れるといい。
帰りたい。

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