組織の熱死

前回は、個人のキャリアという名の「賽の河原の石積み」について、いかにそれが自己満足という名の精神安定剤に過ぎないかを語った。しかし、石を積んでいるのは君たち一人ひとりの孤独な背中だけではない。その背後には、石の積み方を指示し、石が崩れるのを防ぐための「組織」という、より巨大で、より滑稽な構造物がそびえ立っている。

組織。なんと甘美で、呪わしい響きだろう。経営学の教科書を開けば「共通の目的」だの「相乗効果」だのといった、お花畑のような言葉が並んでいるが、あれは全部、現実から目を逸らすためのフィクションだ。湿ったカビの臭いと、終わりのない会議で吸い殻のように燃え尽きた人間の脂の臭いが鼻をつく空間。それが現実だ。実際の組織とは、放っておけば崩壊し、ゴミが溜まり、連絡ミスが多発して動かなくなる、ただの「負債の塊」に過ぎない。

腐敗の数理

そもそも、この宇宙には「エントロピー増大の法則」という、世知辛い絶対ルールがある。熱力学第二法則だ。どんなに秩序だった部屋も、一週間放置すれば埃が溜まる。どんなに整然としたファイルサーバも、三ヶ月経てば「コピー(1)_最終版_案02_修正B.xlsx」という名の怪物に侵食される。君がどれだけ「チームワーク」という名の安っぽいガムテープで補強しようと、秩序は絶え間なく漏れ出し、代わりに入ってくるのは「指示待ちの無能な部下」と「マニュアルを読まない役員」という名の高濃度エントロピーだ。

組織にとって、このエントロピーとは「コミュニケーションのコスト」であり「認知の歪み」だ。上司から部下へ、指示が伝わるたびに信号は減衰し、ノイズが混ざる。まるで伝言ゲームの末に「リンゴ」が「ゴリラ」に化けるように、経営戦略は現場に届く頃には、単なる「よくわからない苦行」に成り果てる。朝、出社して最初に見る「誰が書いたか分からない、エラーだらけの共有スプレッドシート」。何度指摘しても直らない、全角と半角が混在した顧客データ。これらは単なるミスではない。宇宙が秩序を嫌い、すべてを均質なゴミへと還元しようとする、物理的な意志の現れだ。

この乱雑さの濁流に抗うために、組織は膨大な「認知リソース」をドブに捨てる。上司の機嫌を伺うためのメールの文言修正に30分を費やす時、君の生命エネルギーは、ただの無価値な熱として大気中に霧散している。組織を維持するということは、この圧倒的な「乱雑さ」の流れに逆らって、必死に秩序を維持し続けようとする、あまりに滑稽な抵抗活動である。例えるなら、穴の開いたバケツに水を注ぎ続け、水位を保とうとするようなものだ。バケツの穴を塞ぐ努力を「効率化」と呼ぶが、悲しいかな、穴を塞げば塞ぐほど、今度はバケツの中の水が腐り始める。

散逸の美学

ここで、イリヤ・プリゴジンの「散逸構造」という概念を、居酒屋の脂ぎった割り箸の袋にメモしながら考えてみてほしい。彼は言った。平衡状態(エントロピーが最大で、変化がない状態)は死である、と。逆に、システムがエネルギーを取り込み、それを外部に放出し続ける「非平衡」の状態こそが、動的な秩序を生むのだ。

つまり、組織とは「エネルギーを食って、排泄し続ける装置」でなければならない。これを俗な言葉で言えば、仕事というのは「二郎系ラーメン」のようなものだ。あの、過剰なまでのニンニクと脂、そして暴力的なまでの麺の量。普通に考えれば、人体というシステムにとって、あれは明らかなオーバーロードだ。しかし、あの過剰なエネルギーを摂取し、それを消化し、排泄するという激しい代謝プロセスこそが、一時的に「俺は生きている」という強烈な自己組織化(ネゲントロピー)を引き起こす。

「腹八分目」の健康的なかけ蕎麦を食べている組織は、穏やかに、しかし確実に、熱的な死(Equilibrium)に向かっている。変化がなく、波風も立たず、ただ静かに衰退していく。組織が生き残るためには、外部から「異常なまでの情報量」や「無謀なプロジェクト」という名の過剰なエネルギーを注入し、それを激しく消費して、不要な情報を外部へ「排泄」し続けなければならない。この不自然なまでの動的なプロセスこそが、事業継続の本質だ。

だが、この「負のエントロピー」を維持するためのコストは、あまりに高い。たとえば、私が今この原稿を書いている机の隅にある、異常に高価なチタン製の万年筆を見てほしい。単に文字を書くという機能(出力)だけを見れば、100円のボールペンで十分だ。しかし、この冷徹な金属の質感と、無駄に精密な加工、そして10万円を超えるという正気の沙汰とは思えない価格設定。この「過剰さ」こそが、私の思考に一時的な秩序を与えている。あるいは、深夜のオフィスで唯一、この混沌とした空間を照らし出す演色性100に近い、異常なほど高価なデスクライトも同様だ。その「過剰なスペック」がもたらす不自然なまでの光こそが、崩壊へと向かう精神に、一時的な、そして偽りの秩序を強制するのだ。無駄なものを持ち、無駄なエネルギーを使うことでしか、人間はエントロピーの増大に抗えない。馬鹿みたいに。

秩序のコスト

結局、組織の「自己組織化」とは、数理的に言えば、確率密度分布のゆらぎを無理やり一箇所に収束させる行為だ。情報幾何学の視点で見れば、フィッシャー情報量を最大化し、システムの予測可能性を高めようとするプロセスとも言える。しかし、自由エネルギー原理に従えば、脳も組織も「予測エラー(サプライズ)」を最小化しようとする。エラーを減らそうとすればするほど、組織は硬直化し、変化を受け入れなくなる。予測可能性を追求した究極の組織は、外部環境の変化に適応できず、一瞬で熱的死を迎える。

この摩耗は、ちょうど長年使い古してバッテリーが膨張し、熱を帯びるばかりで一向に充電できないスマートフォンに似ている。組織もまた、充放電(仕事と休息、あるいは投資と回収)を繰り返すたびに、その内部抵抗は増大していく。リチウムイオンの移動が阻害されるように、人と人の間の情報の移動は重たくなり、いずれはどれだけ充電しても(資金を投入しても)起動しなくなる。私たちは、その劣化を「文化」や「伝統」というもっともらしい言葉で呼び、延命を図る。だが、物理学の女神はそんな感傷には興味がない。彼女が認めるのは、ただエネルギーの収支決算のみだ。

組織を維持するために注ぎ込まれる、膨大な残業代、精神的な摩耗、そして無意味な会議。これらすべては、宇宙の法則に対する法外な「上納金」である。君たちが「社会貢献」だの「自己実現」だのと寝言を言っている間に、システムは冷徹に君たちの負のエントロピーを吸い取り、それを無価値な熱として大気中に放散している。

帰りたい。

グラスの中のビールは、冷たさを失い、炭酸を放出し、室温という「周囲との平衡状態」に収束した。これが宇宙の正解だ。キンキンに冷えたビールを求めるのは、物理法則に対するささやかな、そして無駄な反逆だ。私の喉という散逸構造を通過させて、熱的な死をほんの少しだけ遅らせることにしよう。宇宙は広がり続け、組織は腐り続け、万年筆のインクは乾く。

そこに意味など、最初から存在しない。

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