統計的ヘドロの海
前回、我々はこの世界の組織がいかにして無能な細胞がマウントを取り合う「情報の墓場」へと腐敗していくかを吐き捨てたが、今日はその死体の上に咲く、さらに悪質な毒花について話をしよう。「公共的意思決定」という、集団的自己欺瞞の極致についてだ。
よく、顔のテカリだけが一人前のコンサルタントや、意識が成層圏を漂っている起業家崩れが、「ステークホルダー間の合意形成」だの「エンゲージメントの最大化」だのと寝言をのたまう。それを聞くたびに、私は胃の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じる。そんなものは、冷めきって表面に膜が張った「かけ蕎麦」を、あたかも三ツ星の懐石料理であるかのように偽装する、絶望的な粉飾決算に過ぎない。そもそも、我々が「社会契約」などと呼んでいる高尚な代物は、実際には、個々人の欲望と妥協がドロドロに溶け合った「統計的なヘドロ」に過ぎないのだ。
組織における会議、あるいは国家レベルの住民投票。これらを数理的に解体し、冷徹なメスを入れれば、そこにあるのは「統計的多様体(Statistical Manifold)」という名の、底なしの沼だということが露呈する。
統計的多様体とは、確率分布の集合体が作る空間のことだが、そんな小難しい講釈はどうでもいい。要は、100人の人間がいれば100通りの「自分だけは得をしたい」「責任は取りたくない」という醜いエゴの分布があるということだ。ある者は金銭的利益を、ある者は名誉を、またある者は単なる「面倒ごとの回避」をパラメータとして持っている。合意形成とは、この無数の歪んだ分布を、一つの「平均値」という名の妥協点に無理やり押し込める作業だ。
二郎系と民主主義の失敗
このプロセスで、我々は決定的な幻覚を見る。「みんなの意見が尊重された」という、脳内麻薬がもたらす致命的なバグだ。
ラーメン二郎の行列を想像してみろ。あの殺伐とした空間で、「ヤサイアブラニンニクマシマシ」を叫ぶ脂ぎった巨漢と、健康を気にして「麺半分、味薄め」などと空気を読まない注文をする者がいるとする。民主主義的な合意形成の手法に従えば、彼らの意見を足して二で割り、その場にいる全員に「普通の醤油ラーメン」を強制的に提供することになる。これこそが公共的意思決定の正体だ。
結果、マシマシを望んだ者は「パンチが足りない」と憤り、麺半分を望んだ者は「カロリーが高い」と嘆く。誰も満足せず、ただ全員が「自分は譲歩した」という不快な記憶だけを共有する。この、誰の口にも合わない「中途半端なスープ」を飲み干さなければならない苦行こそが、現代社会におけるリーマン計量の残酷さなのだ。
この無理筋な統合を数学的に記述するのが、情報幾何学におけるフィッシャー情報行列だ。この行列は、パラメータの微小な変化に対する確率分布の変化率を表すが、社会的な文脈では、我々の「合意のしにくさ」や「話の通じなさ」を、空間の歪み(曲率)として冷酷に弾き出す。
会議室という拷問器具
馬鹿馬鹿しいことに、意見が対立しているとき、その情報空間の曲率は無限大に向かって発散する。どれだけ「腹を割って」対話を重ねようが、空間自体が歪んでいる以上、我々は最短距離(測地線)を走っているつもりが、いつの間にか元の場所に戻っているか、あるいは奈落の底へ突き落とされるかのどちらかだ。
人間は、この空間の歪みを「熱意」や「議論の深化」などと呼んで美化したがる。だが、物理的な実態を見てみろ。会議室のパイプ椅子は尻の肉を削ぎ落とすほど硬く、換気の悪い部屋のCO2濃度は致死レベルに達し、プロジェクターの排熱が思考を焦がす。その肉体的な不快感が、情報空間の曲率をさらに跳ね上げる。
会議が長引けば長引くほど、参加者の脳細胞は酸素欠乏で死滅していく。それでも「何かを決めなければならない」という強迫観念だけが、ゾンビのように徘徊する。いわゆる「リーダーシップ」なるものも、この歪みきった空間において、他人の財布から無理やり金を抜き取るような、暴力的な座標軸の書き換えに他ならない。
彼らが「ビジョン」を語る際、その手元で無駄に煌めいているのは、職人が手作業で仕上げたという数万ドルもするプラチナ製の万年筆だったりする。ただのインクの導管にこれほどの対価を払う虚栄心。その重厚な筆記具が、中身スカスカの合意書にサインされる瞬間、そこには「伝統」や「権威」といった物語が付着し、統計的な詐欺行為が正当化される。公共的意思決定とは、こうした「金メッキされた嘘」を、全員で本物だと信じ込むための集団催眠なのだ。
熱力学的敗北
スマホのバッテリーが劣化していく様子を思い出せ。新品の時は100%の出力で理想的な社会を語っていた連中も、数時間の会議という充放電の繰り返しを経れば、その容量は見る影もなく減衰する。会議開始から3時間を超え、バッテリー残量が10%を切る頃には、高尚な理念など消え失せ、誰もが「早く帰って寝たい」「ビールが飲みたい」という生理的欲求に支配される。そして、最終的には「何でもいいから早く終わらせよう」という、低電力モードの全会一致に辿り着く。これが、我々の文明が誇る合意形成の幾何学的帰結だ。
結局のところ、合意形成の「曲率」を分析して得られる結論は、絶望の一つしかない。我々は、自分たちが理性的であるという幻想を維持するために、統計的なノイズを「民意」という名の神託に仕立て上げている。だが、その背後にあるのは、情報幾何学的な必然性と、熱力学的な崩壊へのカウントダウンだけだ。
曲率の高い空間で、どれだけ言葉を積み上げても、それは摩擦熱を生んで周囲を不快にするだけで終わる。議論が白熱すればするほど、系全体の無秩序度(エントロピー)は増し、真の意味での「最適解」からは光速で遠ざかっていく。
ああ、もういい。帰らせてくれ。
この居酒屋の割り勘の計算ですら、一人が「先輩だから多く払う」と言い出し、もう一人が「いや、端数は私が」と譲らないことで、最適解から逸脱し、微細な情報の歪みを生んでいる。その一見美談に見える「気遣い」というノイズが、計算の最適解を破壊し、支払いの時間を無駄に延ばし、レジ前の店員のイライラ係数を上昇させている。これこそが、公共性が孕む克服不可能な、そしてあまりにも低俗な欠陥だ。
幾何学的に言えば、我々の社会契約は、中心に巨大な穴が空いたドーナツ(トーラス)のようなものだ。中心には「共有されるべき意志」など存在せず、ただ虚無が鎮座している。我々はその周囲を、リーマン計量の指示に従って、尻の痛みに耐えながら、ただぐるぐると回り続けているに過ぎない。
その回転を「進歩」と呼ぶか「空回り」と呼ぶか。それは、君が手にしているその高価すぎる万年筆で、どのような醜い嘘を記述するかによって決まる。もっとも、インクが切れるのが先か、我々の忍耐が限界を迎えて空間が崩壊するのが先か、という賭けをするのも一興だが。
おっと、注文した煮込みが来た。これこそが、多様体上の特異点。
「空腹」という唯一の真実が、全ての幾何学的欺瞞を食い破る瞬間だ。

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