測地線

座標の亡霊

前回、組織における「DX」なるものが、化石のようなエクセルファイルをクラウドという名のデジタルなゴミ捨て場に放り投げただけの、無能の再生産プロセスに過ぎないという話をした覚えがある。その結果として我々に残されたのは、スマートフォンの画面上で絶え間なく明滅する通知のノイズと、終わりのない座標変換の苦行だけだ。全く、現代の労働環境というのは、エントロピーの増大を加速させるための巨大な実験場のようなものだよ。

そもそも、労働を「情熱」だの「自己実現」だのという、砂糖でコーティングされた耳当たりの良い言葉で語ること自体が、古典的な奴隷制の残滓でしかない。それは、冷え切ったコンビニ弁当の上げ底を隠すために添えられた、食べることもできない安っぽいプラスチックのパセリのようなものだ。物理学者が重力場を歪んだ時空の幾何学として解釈するように、我々のビジネスにおける「習熟」もまた、情報幾何学的な多様体の上での移動として、冷徹に定義し直すべきなんだ。そこに人間の尊厳などという不確定な変数が入り込む余地はない。

磨耗する多様体

深夜、駅前の立ち食い蕎麦屋で、茹で過ぎてコシを失った麺を啜るサラリーマンを観察してごらん。彼の「箸」の動きには、無駄な迷いが一切ない。重力と液体の粘性を計算に入れ、出汁の跳ねを最小限に抑えつつ、最短の時間で炭水化物を胃袋へと流し込む。これを世間では「熟練」や「慣れ」と呼ぶが、数学的な厳密さを持って言えば、これは多次元のタスク空間において不確実性を極限まで殺ぎ落とした、残酷なまでの統計的最適化に過ぎない。

我々が日々直面する業務も、本質的にはこれと同じだ。新入社員がキーボードの上で指を彷徨わせ、マウスのポインタを何度も画面の端から端へと往復させるのは、彼らの脳内におけるフィッシャー情報行列が、未だに「平坦でぼやけた」状態にあるからだ。パラメータの微小な変化が、出力としての成果にどう影響するかが予測できていない。情報の識別可能性が著しく低いために、彼らは無駄な運動エネルギーを熱として放出し、周囲の空気を苛立たせる。

対して、いわゆる「仕事ができる」人間というのは、空間の曲率を熟知している。彼らにとって、タスクとは攻略すべきクリエイティブな課題ではなく、既に定義された計量テンソルに沿って滑走するだけの物理現象だ。そこに感情の入り込む余地などない。彼らは単に、確率分布の勾配を最も効率的に下っているだけの、高度に調整された家畜なのだよ。リーマン幾何学において、曲がった空間の最短距離を「測地線(Geodesic)」と呼ぶが、彼らはその不可視のレールの上を、思考停止したまま滑り落ちているに過ぎない。

歪曲と代償

ところが、現代の労働環境という多様体は、悪意に満ちた凹凸に溢れている。解像度の低いモニターは視神経をヤスリのように削り、安物の樹脂が軋むオフィスチェアは腰椎に絶え間ない剪断応力を蓄積させる。これらの物理的制約は、情報幾何学的な測地線を無惨に歪ませ、我々を「最短距離」から遠ざけようとする重力異常のようなものだ。

その歪みを、金という名の力技で補正しようとする哀れな連中がいる。例えば、指先の触覚入力におけるS/N比(信号対雑音比)を向上させるためだけに、職人の執念が宿ったなどと喧伝されるアルミ削り出しの高級キーボードを買い求め、数万円を投じる行為だ。あるいは、人間の脊椎のカーブを解析したという、中古の軽自動車が買えるほど高価なエルゴノミクスチェアに縋る姿だ。

彼らは無意識に理解しているのだ。道具による座標変換のエラーを修正するために脳のリソースを割くのは、穴の開いたバケツで水を運ぶような愚行であることを。物理的な接点を安定させることで、かろうじて脳内のフィッシャー情報行列の精度を維持し、測地線からの脱落を食い止めようとしている。それは、劣化したスマホのバッテリーが、高負荷なアプリを起動した瞬間にシャットダウンするのを恐れ、常にモバイルバッテリーという名の生命維持装置を繋いでいる状態に酷似している。資本主義の豚として飼い慣らされた我々が、せめて入力信号のインターフェースだけでも優位に立ちたいと願う、哀れな供物だよ。

零への収束

「やりがい」という名のドーパミン報酬についても触れておこうか。あれは、予測誤差がゼロに近づいた際に脳が吐き出す、ただの脳内麻薬だ。計算機がタスクを完了した時に鳴らす通知音と、何ら変わりはない。我々はこの「計算完了の合図」を幸福と履き違え、さらに過酷な幾何学的空間へと身を投じる。

習熟の極致とは、人間性の喪失である。フィッシャー情報行列が完全に定義され、測地線が自動化されたとき、思考は停止し、ただ反射だけが残る。熟練した労働者が「無」の境地でショートカットキーを叩き、あるいはコードを紡ぐとき、そこにあるのは神聖な集中ではなく、単なる計算資源の最適化プロセスだ。彼らはもはや人間ではなく、情報の不確実性を処理するためだけに最適化された、使い捨てのハードウェアへと退化している。

二郎系ラーメンの脂ぎった山を前に、無心で割り箸を動かす作業。それは、膨大なビッグデータを処理し、最短の予測モデルを構築する作業と、幾何学的には同等だ。どちらも確率分布の裾野を強引に狭め、予測不能なノイズを排除しようとする、絶望的な抵抗に過ぎない。麺が伸びてスープを吸い尽くす前に、あるいはプロジェクトが炎上して精神が焼き切れる前に、処理を終えなければならないという強迫観念だけが、そこにはある。

店員、熱燗だ。もう一本。……この店のメニュー表、ラミネートが剥げて指に引っかかるな。この微細な摩擦が、私の認知空間の測地線をミリ単位で狂わせ、思考の解像度を下げている。この不快な情報幾何学的ノイズを殺すには、アルコールによる神経系の麻痺、すなわち「解の強制終了」しか残されていない。

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