前回、安酒をあおりながら、個人の労働がいかに孤独な魂の摩滅であるかを説いた記憶がある。アルコールのせいで定かではないが、確かそうだったはずだ。だが今日は、その摩滅した魂が寄り集まった「組織」という、より質の悪い集団幻想について語らねばならない。
世間では「チームワーク」だの「シナジー」だの、耳を洗いたくなるような甘ったるい言葉が溢れかえっている。就職活動中の学生や、キラキラしたベンチャー企業の社長が目を輝かせて語るそれらは、物理学の冷徹な眼で見れば、単なる生存バイアスの産物に過ぎない。実態としての組織は、外部からエネルギーを奪い食らい、せっせと汚物(エントロピー)を排出することで、かろうじてその形を保っている「散逸構造」の成れの果てだ。
馬鹿みたいに。
散逸:あるいはドブに捨て続ける金と命
生物でも組織でも、あるいは週末に掃除をサボった私の台所でも、放っておけば崩壊する。部屋の隅に溜まる埃や、デスクトップを埋め尽くす「新規フォルダ(2)」の群れを見れば、この宇宙がいかに無秩序を愛しているか理解できるだろう。これを物理学では「熱力学第二法則」と呼ぶ。エントロピーは常に増大する。つまり、世界は常にゴミ屋敷になりたがっているのだ。
組織がこの死への誘惑、すなわち「解散」や「倒産」という平衡状態に抗い、「事業」などという小癪な営みを続けるには、外部から絶えず新鮮な資金や労働力という名の「負のエントロピー」を注入し続けなければならない。これは、極めて燃費の悪いエンジンを回し続けているようなものだ。
考えてもみろ。組織を維持するためだけに、どれほど莫大なエネルギーが浪費されているか。本来の目的とは無関係な「社内政治」という名の摩擦熱。何十人もの大人が空調の効きすぎた会議室に集まり、誰も責任を取りたくないがために、当たり障りのない議事録を作るためだけに数時間を費やす。あるいは、稟議書のハンコを一つもらうためだけに、フロアを往復し、上司の機嫌という不確定性原理に翻弄される。
これは、かけ蕎麦を注文したはずが、いつの間にかマシマシの二郎系ラーメンを食わされているようなものだ。最初はシンプルだったはずの「顧客への価値提供」という出汁が、組織が肥大化するにつれて、過剰な承認プロセス、無意味な進捗会議、そしてコンプライアンスという名の「ギトギトの背脂」に覆い尽くされていく。我々はその脂身を、「仕事」と自分に言い聞かせながら飲み込んでいるに過ぎない。
スマホのバッテリーが、何もしていないのにバックグラウンドで動く無能な常駐アプリのせいで熱を持ち、劣化していく現象と全く同じだ。我々は何かを生み出すためではなく、組織という巨大で非効率な怪物が自壊しないよう、その体温を下げるための冷却水として、日々蒸発させられているのだ。
なんだこれ。
揺らぎ:停滞という死を回避するための毒
では、エントロピーの増大を完全に抑え込めば、組織は救われるのか? 全ての業務をマニュアル化し、一分の隙もない管理体制を敷き、社員を規格化された部品として扱えばいいのか?
断じて否だ。物理学の結論は残酷である。完全に平衡に達した系、つまり「完璧に管理された組織」は、もはや死体と同じだ。情報の流れが止まり、内部に差異がなくなった組織は、環境の変化に適応できず、ただ静かに腐敗を待つだけになる。
以前、私が執筆による腰痛のあまり、半ば錯乱して購入した高価なワークチェアを思い出してほしい。あれは確かに工学の粋を集めた傑作であり、脊椎を「正しい姿勢」という完璧な秩序の下に拘束する。だが、あまりに完成されすぎた構造に身を委ね続けていると、人は微細な身体の動きを忘れ、思考までもが硬直してくる気がするのだ。座るという行為が最適化されすぎると、立ち上がるという発想そのものが奪われる。身体の「揺らぎ」を許容しない構造は、やがて精神を石にする。
組織も同じだ。生き残る組織に必要なのは、予定調和を破壊する「ノイズ」である。勤務時間中に窓際でぼんやりと空を眺めている給料泥棒や、会議の空気を読まずに頓珍漢な質問を投げかける新卒、あるいは非効率なやり方に固執する頑固なベテラン。彼らこそが、組織を完全な平衡状態(死)から遠ざけ、非平衡状態に留めるための「揺らぎ」の供給源なのだ。
コンサルタントが振りかざす「効率化」の刃で、そうした「無駄」を外科手術のように切り捨てた瞬間、その組織は柔軟性を失い、些細な環境変化でガラスのように粉々に砕け散るだろう。我々は無駄を嫌悪しながら、実はその無駄によって、組織という系を生きた状態に保っている。なんという皮肉か。
帰りたい。切実に。
秩序:誰かの絶望の上に成り立つ「綺麗な嘘」
最後に、「公共的価値」という美辞麗句についても解剖しておこう。組織が社会に提供する価値とは、この無秩序な熱の放出と、際限のないエネルギー消費の果てに、奇跡的に結晶化した「意味の残渣」のことだ。
「誰かのために」という利他的な動機は、神経科学的に見れば、脳内の報酬系をハックしてドーパミンを分泌させ、過酷な労働環境でのストレスを麻痺させるための精巧なバグに過ぎない。だが、そのバグが連鎖し、組織全体で局所的にエントロピーの生成を最小化する方向へ向かう時、そこに「ブランド」や「企業文化」といった虚構の秩序が立ち上がる。
しかし、忘れてはならない。熱力学は等価交換を要求する。ある場所に高度な秩序(低いエントロピー状態)を作り出すためには、必ず別の場所にそれ以上の無秩序(高いエントロピー)を排出しなければならない。クーラーが部屋を冷やすために、室外機から猛烈な熱風を吐き出すのと同じだ。
ある組織がクリーンで高潔な公共性を謳い、輝かしいオフィスでSDGsを語る時、その背後には必ず「ゴミ捨て場」が存在する。それは、最低賃金で酷使される下請け工場の労働者かもしれないし、理不尽なクレーム処理で精神を病んでいくカスタマーサポートの契約社員かもしれない。あるいは、深夜のオフィスで冷めたカップ麺をすする中間管理職の、すり減った胃壁かもしれない。
彼らが、組織全体の「負のエントロピー」を一手に引き受け、自らの人生を「熱」と「疲労」という形のない廃棄物に変えることで、初めて表舞台の「秩序」は維持されている。エネルギー保存の法則は、社会正義の前でも容赦がない。誰かが涼しい顔で「価値」を享受する時、裏では誰かがその分の熱を、絶望として体内に溜め込んでいるのだ。
結局のところ、我々が「偉大な事業」と崇めているものは、宇宙という巨大なゴミ捨て場の中で、一瞬だけ誰かの犠牲を燃料にして燃え上がった、非常に燃費の悪いキャンプファイヤーに過ぎない。
さて、グラスが空になった。これ以上語ると、この安酒が私の肝臓で分解され、無意味な熱となり、明日の朝には重たい二日酔いというエントロピーに変わってしまう。そうなる前に、私は失礼させてもらおう。外の空気は冷たいが、ここの澱んだ熱気よりはマシだ。

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