前回の講義――いや、あれは泥酔したお前たちの醜態を肴に、私が一方的に管を巻いただけだったか。組織という巨大なエントロピー増大装置が、いかにして個人の尊厳を汚物のように処理するかを説いたはずだ。今日はその続編だ。お前たちが「仕事をしている」と錯覚している瞬間に、脳内で起きている幾何学的な「集団リンチ」について、より卑近な、そして救いのない言葉で解体してやろう。
昨今の「生産性向上」だの「働き方改革」だのといった耳障りの良いプロパガンダを聞くたびに、私は胃のあたりに鉛を流し込まれたような不快感を覚える。連中は、人間をあたかも定規で測れる線形なリソースだと勘違いしているらしい。10のタスクがあれば、1を10回繰り返せば10になるという、小学生ですら信じないような算術で世界を記述しようとしている。
馬鹿を言うな。
実際、我々が直面しているのは、そんな平坦なユークリッド空間ではない。お前たちが日々放り込まれているのは、情報の歪みによって一歩進むだけで吐き気を催すような、ドロドロに溶けた「タスク多様体」なのだよ。
座標:コンテキストスイッチという名の精神的強姦
まず、我々が「今、何をしているか」という状態は、統計学的な確率分布 p(x|θ) として記述できる。メールを打っている時の脳の状態、Excelのセルと格闘している時の神経系の発火パターン、あるいは上司の無能な指示を右から左へ受け流している時の虚無感。これらはすべて、特定のパラメータ θ によって規定された、多様体上の異なる座標だ。
労働とは、この多様体上の点から点へと、我々の意識という座標を移動させ続けるプロセスに他ならない。だが、この座標間を移動するコストを、お前たちは「無料」だと思い込んでいる。あるいは、気合や根性といった精神論で帳消しにできると信じている。
集中して企画書を練り上げている最中に、Slackの通知音が鳴り響く。その瞬間、お前たちの意識は数千キロ彼方の僻地へと無理やり引き摺り下ろされる。これは単なる「時間の浪費」ではない。情報幾何学におけるフィッシャー情報量という名の冷徹な定規で測れば、そこにはマリアナ海溝よりも深い「距離」が存在する。
この移動を繰り返すたびに、脳はコンテキストスイッチという名の摩擦熱を上げ、オーバーヒートを起こす。それは、ようやく一口食べようとした「特製二郎系ラーメン」を、箸をつけた瞬間に店主に取り上げられ、目の前で「冷え切ったかけ蕎麦」にすり替えられるような生理的な屈辱だ。口内は濃厚な脂とニンニクの刺激を求めて準備を完了しているのに、胃袋には味気ない出汁が流し込まれる。その認識の齟齬、脳の予測モデルと現実入力の乖離。マルチタスクとは、この「食い合わせの悪さ」を24時間強制される拷問に他ならない。
スマホのバッテリーが、充放電を繰り返すたびに不可逆的な化学変化を起こして死んでいくように、お前たちの神経系もまた、この座標移動の摩擦によって、修復不可能なレベルまで擦り切れているのだ。一見、残量が残っているように見えても、内部の電圧は低下し、もはや高負荷な処理には耐えられない。
歪曲:虚飾の装備と曲率の絶望
情報幾何学の真髄は、この多様体が「金とストレスによって歪んでいる」点にある。特定のタスクに習熟する、あるいはフロー状態に入るということは、その領域における曲率が変化し、移動コストが極小化されることを意味する。本来であれば、熟練者は滑らかな局面を滑るように移動できるはずだ。
しかし、現代の労働環境はどうだ。無意味な定例会議、承認のためだけのスタンプラリー、そして「アジャイル」という免罪符で行われる朝令暮改。これらは多様体上に突如として現れる「渋滞」や「工事現場」、あるいは空間そのものを捻じ曲げるブラックホールだ。目的地がすぐそこに見えているのに、制度の歪みのせいで、我々は延々と外周を回らされる。
せっかくスムーズな測地線(最短経路)を描こうとしているのに、これらのノイズが空間をグニャリと歪めてしまう。結果として、我々は目的地に辿り着くために、本来必要のない膨大なエネルギーを「認知負荷」という名の熱として放出せざるを得ない。熱力学第二法則からは逃げられない。この放出された熱は、我々の脳を文字通り焼き、焦がし、最終的には「燃え尽き症候群」という名の灰にする。
この理不尽な遠回りから目を逸らすために、お前たちは何をする? 20万円もする高機能なワークチェアに尻を乗せれば、脊椎のS字カーブと共に認知負荷までが補正されると信じ込もうとする。メッシュの座面が重力を分散させたところで、上司のパワハラによる重圧は1ミリも分散されないというのに。
あるいは、10万円を超えるハイエンドヘッドホンで外界の物理的なノイズを遮断し、自分が静寂なコントロールルームにいる有能なオペレーターであるかのような陶酔に浸る。滑稽の極みだ。物理的な空気振動を消したところで、お前が立たされている情報空間の歪みが治るわけではない。プラスチックと皮革の塊に大金を投じるのは、沈みゆく泥舟の甲板を高級ワックスで磨くようなものだ。その金があるなら、今すぐ仕事を辞めて、静かに発狂する権利でも買った方が、まだ経済合理的と言えるだろう。
測地線:熱平衡への最短ルート
我々が必死に探し求めている「効率的な働き方」とは、この歪んだ空間における「最適な測地線移動」のことだ。書店に行けば、「時間術」だの「超集中」だのといったタイトルの本が山積みになっているが、それらはすべて、この幾何学的な地獄における地図のような顔をして売られている。
だが、悲しいかな、測地線とは「最小のエネルギーで移動する経路」であって、「疲れない経路」ではない。どれほど効率化を突き詰めようと、移動距離に応じたエネルギーは確実に消費される。疲労とは、フィッシャー計量に従って算出された「移動の負債」がお前のキャパシティを超えたという、冷徹な計算結果だ。
お前たちが感じる「疲れ」を、感傷的に捉えすぎるな。それは「頑張った証」でもなければ「精神の摩耗」といった文学的なものでもない。単に、情報多様体上の移動において、必要な自由エネルギーが枯渇したという、純粋に数学的な事象だ。愛だの、やりがいだの、自己実現だの、そんな抽象概念でこの数理的欠陥を塗り潰そうとするのは、エンジンオイルが漏れて白煙を上げているボロ車に、安物の芳香剤をぶちまける行為と変わらない。
労働の本質は、自身の神経資源をエントロピーとして空間に放出し続ける「散逸構造」だ。お前たちが「今日も一日頑張った」と自分を慰める時、実際にはただ、脳内の神経伝達物質という名の希少な在庫を、資本主義という名のシュレッダーにかけただけに過ぎない。
結局、我々に残された道は二つしかない。一つは、多様体の起伏に翻弄されながら、ただひたすらに摩耗し続ける部品として生きること。もう一つは、この空間の曲率を冷徹に見極め、最小のエネルギーで点と点を繋ぐ、無機質な幾何学者になることだ。
どちらを選んだところで、結末に大差はない。最後には皆、一様な確率分布――すなわち、熱平衡という名の「死」へと収束していくのだから。
さて、講義はここまでだ。この不毛な議論を続けるよりも、私はこれから近所の安居酒屋で、アルコールという名のノイズを脳に流し込み、強制的に情報計量を破壊してくるとしよう。お前たちも、せいぜい自分の多様体が破綻して修復不能な産業廃棄物になるまで、無意味な座標移動を繰り返すといい。

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