前回、組織という名の巨大な「漬物石」がいかにして若者の可能性を圧殺するかという話をしたが、今日はその石が鎮座している、油と埃にまみれた「床」……つまり事業ドメインという名の不毛な領土について話をしよう。
おや、そんなに渋い顔をしないでくれ。この店のアジフライを見てみろ。衣の厚さと中身の貧相さの比率は、まさに現代のスタートアップが掲げる「事業計画書」の解像度そのものだ。サクサクとした虚飾を剥がせば、そこには熱の通っていない、鮮度の落ちた生ぬるい現実が横たわっている。我々はこの「衣」という名のプレゼンテーションを食わされ、高額な代金を支払わされているわけだ。ソースをかければ誤魔化せると思っているあたり、実に浅はかだ。
世の経営者たちは、口を開けば「新規事業」だの「ドメインの拡張」だのと、さも高尚なフロンティア精神に溢れた言葉を吐く。彼らは市場という荒野に旗を立てる開拓者を気取っているが、私のような世捨て人の物理屋から言わせれば、それは単にエントロピー増大の法則に抗おうとして、片付けられない子供がガラクタを隣の部屋へ押し込んでいるだけの言い訳にしか聞こえない。「多角化」とは、散らかった部屋の汚さを平均化する行為の別名だ。
馬鹿みたいに。
循環
事業というものは、突き詰めれば「情報の非対称性」と「エネルギーの偏り」を食い潰して、排泄物としての利益をひねり出す代謝プロセスに過ぎない。これを小難しい顔をして語るなら、イリヤ・プリゴジンが提唱した「散逸構造論」の出番だが、そんな学術用語をここで振り回しても酒が不味くなるだけだ。
要は、ラーメン二郎と同じだ。あの店は一つの巨大かつ完璧な散逸構造だ。客という名の高エネルギー体が絶え間なく流入し、脂とニンニク、そして炭水化物という過剰な熱量を胃袋に詰め込み、そして数時間後には脂汗を流しながら排泄へと向かう。あの圧倒的な「秩序」は、凄まじいエネルギーの流入と、それに見合うだけの「排出」がセットになって初めて成立している。このサイクルが止まれば、あの空間は単なる生ゴミの集積場へと即座に相転移するだろう。ニンニクをマシにする行為は、イノベーションではない。ただの過剰な負荷だ。
事業ドメインを広げるというのは、いわば二郎で初心者が「全マシ」を注文する行為に近い。器のキャパシティを超えたエネルギーを無理やり系に流し込めば、システムは当然、熱暴走を起こす。店員が叫ぶ「ニンニク入れますか?」という問いは、トッピングの確認ではない。経営者への「お前、この過剰なエントロピーを処理できる代謝能力を持っているのか?」という、物理法則からの死の宣告に他ならない。それを情熱や気合と勘違いして大きく頷くから、翌朝のトイレで後悔することになるのだ。
散逸
今の若者は、どこへ行くにもスマートフォンの充電残量を気にしている。まるで自分の生命維持装置であるかのように、コンセントを探してカフェを徘徊するゾンビだ。先日、教え子のバカが二万六千円もする重たい塊を自慢げに見せてくれた。Ankerのロゴが入ったその無機質な直方体は、確かに200Wもの電力を吐き出し、PCすら駆動させるらしいが、私にはそれが、エントロピーの増大に抗うために必死に「外部リザーバー」を抱え込んでいる哀れな寄生体の臓器にしか見えなかった。バッテリーが劣化し、内部抵抗が増大し、化学反応の効率が落ちれば、どれほど高価なデバイスであっても、それは単なる「電気を通さない高級な文鎮」に成り下がる。
なんだこれ。
企業も全く同じだ。事業ドメインという「器」の中で、情報の劣化は刻一刻と進んでいる。組織が大きくなればなるほど、内部連絡という名の「摩擦熱」が増え、肝心の仕事に回されるエネルギーは指数関数的に目減りしていく。会議のための会議、承認のための承認、CCで送られてくる誰も読まないメール。これらは物理学的に言えば、系の温度を無意味に上昇させるだけの熱ノイズだ。上司の加齢臭の混じった溜息ひとつにも、確実にエントロピーが含まれており、それは決して消滅しない。
そこで連中は「DX」だの「AIによる変革」だのと叫び始める。これは、熱暴走してファンが悲鳴を上げているPCに、冷え切った保冷剤を外側から叩きつけるような暴挙だ。一時的には温度が下がるかもしれないが、結露で内部回路がショートするのが関の山だ。真に必要なのは、ドロドロに溶け出した組織の構造を一度冷やし固め、余計な脂肪を削ぎ落として、排熱効率の良い形状に作り直すことなのだが、彼らにその勇気はない。彼らはエントロピーを内部に溜め込み、便秘状態のまま「成長」という名の肥満を繰り返す。結果、システムは非平衡の臨界点を超え、不可逆的な崩壊へと向かう。これを市場では「倒産」と呼ぶが、物理学的には単なる「熱平衡状態への帰還」に過ぎない。静かで、冷たく、そして極めて公平な、死の世界だ。
閾値
非平衡熱力学の世界には、構造が劇的に変化する「閾値」が存在する。水が沸騰して気体になるように、あるいは高速道路の渋滞がある瞬間に突然発生するように、事業もまた、ある一定の負荷を超えた瞬間に、それまでのロジックが通用しない別次元のフェーズへと移行する。だが、その移行は、ビジネス書に書いてあるような美しい蝶の羽化ではない。
想像してごらん。夏の終わりのゴミ捨て場に群がる銀バエの群れを。ある一定の腐敗臭——つまりエントロピーの集積——が閾値を超えた瞬間、そこには「捕食と産卵」という完璧な秩序(自己組織化)が爆発的に生まれる。これを「パラダイムシフト」と呼んで喜ぶのが今のビジネスコンサルタントどもの手口だ。実態はもっとグロテスクで、鼻をつくような悪臭に満ちている。企業が傾きかけた時、内部で発生する派閥争いや責任の押し付け合い、あるいは突然のコンプライアンス強化といった現象は、まさにこのウジの湧くプロセスと同じだ。
自己組織化とは、古い秩序が壊滅した後に残った残骸が、生き残るためにやむを得ず結託して作り上げた「妥協の産物」である。そこには美学も、ましてや創業者の崇高な意志など一滴も残っていない。ただ、エネルギーを効率よく使い切るための、冷酷な数学的必然があるだけだ。「会社のために」という言葉が空虚に響くのは、それが既に腐敗した有機体から発せられるガスだからだ。
我々人間が抱く「感動」や「やりがい」といった感傷も、神経科学的に見れば、脳内のドーパミン放出に伴うシナプスの発火――つまりは電気信号の「バグ」のようなものだ。系が効率よく回転し始めた時に生じる、心地よい振動音。それを「目的」と勘違いしているから、いつまでも本質に辿り着けない。世界は数式通りに崩壊し、数式通りに再構築される。そこに人間の情緒が入り込む余地など、最初から1ミリもないのだ。
帰りたい。
事業ドメインとは「どこまで泥を被り、どこから先をゴミとして捨てるか」という境界線の引き方に集約される。成功している企業は、この境界線の引き方が異常に冷徹だ。顧客の期待というエネルギーを吸い上げ、従業員の疲弊という熱を外部に排出し、その落差でイノベーションという名の幻影を回し続ける。彼らは知っているのだ。自分たちが「ゴミ処理場」の管理人であり、いかに効率よく焼却炉を回すかが全てであることを。
さて、ホッピーのナカをお代わりしようか。この焼酎という液体もまた、私の脳内のエントロピーを一時的に攪拌し、不都合な現実を忘れさせてくれる優れた散逸デバイスだ。明日になれば、またひどい頭痛という名の「排熱」に苦しむことになるのだが。この世のすべては、熱いスープが冷めていく過程で見せる、一瞬のあがきに過ぎない。君が心酔しているそのキラキラしたビジネスモデルも、私の中ジョッキの中で消えていく泡と、何ら変わりはないのだ。
もう一杯。今度は、もっと濃いやつを頼む。店員さん、こっちの床のベタつき、どうにかしてくれないか。

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