昨今のビジネス界隈で「イノベーション」だの「自己組織化」だのという軽薄な単語を耳にするたび、私は生理的な吐き気を催す。それは、駅前の薄汚れた立ち食い蕎麦屋で、茹で置きされた麺がスープを吸い尽くし、箸で持ち上げた瞬間にぶつぶつと千切れるあの無残な光景に似ている。麺はもはや食事としての機能を失い、ただの「ふやけた炭水化物の塊」という熱平衡状態へ至っている。どんぶりの底に沈殿した澱みこそが、安定という名の死だ。
多くの無能な経営者は、組織を精緻なクロノグラフのように、あるいは美しい数式のように管理できると信じているが、現実はもっと汚泥にまみれている。組織とは、放っておけば確実に腐敗し、異臭を放つ「生ゴミの集積場」へ向かう。この絶望的な事実は、宇宙の残酷な支配者である熱力学第二法則が保証している絶対的な真理だ。
秩序という名の延命措置
我々が「労働」と呼んでいる行為の正体は、この宇宙に遍在する「片付けたそばから散らかる部屋」のような無秩序への、極めて滑稽で無駄な抵抗だ。
例えば、朝から晩まで繰り返される、あの脂ぎった顔が並ぶ会議室を想像してみろ。ホワイトボードには誰も読み返さない議事録が殴り書きされ、プロジェクターの排気音が虚しく響く。あれを「建設的な議論」だと思い込める人間は、幸せな脳の持ち主だろう。現実には、あれは単なる「廃熱処理」だ。組織内に蓄積した過剰な情報と、上司の自己顕示欲という名の毒素を、言語という解像度の低いフィルターに通して、冷房の効きすぎた部屋の摩擦熱として大気へ捨てているだけだ。シュレディンガーが持ち出した「負のエントロピー」などという言葉は、要するに「他者の生命力を食らい、自分の糞を外に垂れ流す」ための免罪符に過ぎない。
あなたが、あのアホらしいほど高価なシステム手帳にペンを走らせる瞬間を思い出せ。一冊数万円もする牛革の表紙は、使い込むほどにあなたの手脂を吸って黒ずんでいく。その革の塊に「明日やるべきこと」という名の、明日には価値を失うゴミ情報を書き込む。その不当に高い革製品を買うことで、あたかも自分の生活に秩序がもたらされたと錯覚する。その愚かしさ、その金銭的な損失。人間は、自分が崩壊していく恐怖を紛らわせるために、どれほど高額な「秩序のレプリカ」を買い支えれば気が済むのか。
馬鹿みたいに。
組織が「自己組織化」を遂げるなどという妄想も同様だ。システムが硬直したぬるま湯のような職場からは、何も生まれない。それは、放置された二郎系ラーメンの表面に、白く厚いラードの膜が張るのと同じだ。流動性を失った油の塊に、もはや生命の鼓動はない。イリヤ・プリゴジンが説いた「散逸構造」を事業に当てはめるなら、それは「金を食らい、熱を出し、周囲を汚染しながら、かろうじて形を保つ」という醜悪なダイナミズムを指す。この醜い代謝を止めた瞬間、組織は「公共性」という名の、誰も見向きもしない墓場へ埋葬されるのだ。
代謝という名の生化学的バグ
ここで、我々の脳内に目を向けてみよう。「チームの一体感」や「企業理念」に涙を流すとき、脳内ではドーパミンやオキシトシンがドバドバと分泌されている。経営コンサルタントはこの現象を「エンゲージメント」と呼び、さも高尚な精神活動であるかのように喧伝するが、それは機械を動かすための「廃油」と同じだ。
部品同士の摩擦熱を抑え、システムの焼き付きを防ぐための、生化学的な誤作動。それが感情の正体である。
現代の組織は、この「代謝」の設計に致命的な欠陥を抱えている。情報の流入速度が個人の脳の冷却能力を超えたとき、システムは再起不能な熱暴走を起こす。スマホのバッテリーが熱を持ち、数時間でシャットダウンするように、現代の労働者もまた、週末の過剰な浪費や、周囲の雑音を遮断するためのノイズキャンセリングヘッドホンという名の精神的シェルターがなければ、月曜日の朝を迎えることすらできないほど脆弱だ。
満員電車の中で、数十万円もするデバイスを耳に張り付け、外界を拒絶して「静寂」を買おうとする姿は、滑稽を通り越して哀れですらある。彼らは「無」を手に入れるために、必死に汗水を垂らして金を稼いでいるのだ。秩序を維持するために、自分の時間と精神を破壊し、その報酬で秩序の破片を買い戻す。この救いようのない円環こそが、資本主義という名の巨大な焼却炉を回す燃料になっている。
なんだこれ。
組織が「非平衡」を維持し、自律的に構造を作り変えるためには、適切な「不純物」が必要だ。完璧に管理されたマニュアル、1ミリの狂いもないKPI、そして整然としたオフィス。これらはすべて、システムを窒息させる死神だ。完璧な秩序とはエントロピーが最小の状態であり、それは「死」の同義語である。何の変化も、何の驚きも、何の未来もない、絶対零度の静寂だ。
崩壊という名の唯一の真実
真に優れた事業戦略とは、外部からいかに効率よく「他者の秩序(金とエネルギー)」を強奪し、内部で発生した「腐敗(ストレスと無駄)」をいかに美しく他所へ押し付けるかという、不潔な物流の問題に帰着する。
だが、大半の組織はその逆を突き進む。内部に「伝統」や「忖度」という名のヘドロを溜め込み、外部へは「輝かしいビジョン」という名の中身のない空気を排出しようとする。これは物理法則への反逆であり、熱力学的な逆流だ。無理にせき止めようとすれば、いずれダムは決壊し、すべては元の泥水へと戻る。
私は、整理整頓を推奨する人間を信用しない。机の上が完璧に片付いている人間は、外部からの不確実性という栄養を摂取する穴が塞がっている。混沌をそのまま受け入れるための「揺らぎ」、つまり「不潔な余白」がなければ、組織という散逸構造は維持できない。
居酒屋のカウンターで、隣のサラリーマンが「うちの会社は風通しが悪い」と、薄まったハイボールを啜りながら愚痴っている。彼は気づいていない。自分の組織がすでに熱平衡に達し、エントロピーが最大化した「死体」であることに。風通しを良くするということは、居心地の良い室温にすることではない。外部からの暴力的なエネルギー交換に、その身を晒すということなのだ。
帰りたい。
結局のところ、我々が「成長」だの「拡大」だのと呼んでいる現象は、宇宙全体の無秩序を加速させる代償として得られる、一瞬の「かりそめの結晶」に過ぎない。その結晶が溶けるのを遅らせるために、我々は今日も、不相応に高い万年筆を握りしめ、明日には忘れてしまうような欺瞞に満ちた戦略を紙に刻み込む。
黒いインクが、白い紙の繊維を汚し、秩序を侵食していく。その微細な崩壊のプロセス、その「汚れ」こそが、我々が「生きている」と錯覚できる唯一の、そして最後の証拠なのだから。

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