前回の講義――いや、あの薄暗いバーのカウンターで、溶けかけの氷をカランと鳴らしながら零した「自己模倣という名の緩慢な自殺」についての独白を覚えているだろうか。個人のアイデンティティが、過去の自分の劣化コピーを繰り返すことで摩耗し、最後には何者でもない透明な抜け殻へと変貌していく悲劇だ。あの夜、君は神妙な顔で頷いていたが、実のところ、あの悲劇は個人の領分に留まるような生易しいものではない。
むしろ、複数の人間が集まり「組織」という看板を掲げた瞬間、その摩耗は物理法則に裏打ちされた、より凶暴で不可避な崩壊へと昇華される。今日はこの、焼酎のお湯割りの湯気のように実体がなく、それでいて我々の人生を縛り付ける「組織」という代物を、非平衡熱力学の冷徹なメスで解剖してみようじゃないか。
流転
まず、幻想を捨てたまえ。我々が「会社」や「チーム」と呼んでいるものは、生物学的な個体でもなければ、ましてや高潔な志を共にする同志の集まりなどでもない。それは熱力学的に言えば、環境からエネルギーを吸い込み、エントロピーを排出し続けることでかろうじて形を保っている「散逸構造」の一種に過ぎない。
イリヤ・プリゴジンがノーベル賞を掠め取った――失礼、受賞したこの理論は、平衡から遠く離れた系においてのみ、秩序が自己組織化されると説く。聞こえはいいが、要するにこういうことだ。組織とは、常に新鮮な「カモ」という外部エネルギーを食らい続けなければ、内部に蓄積する腐敗――無能な上司の保身や、意味のない定例会議といったエントロピー――によって、瞬時に自壊してしまう自転車操業のボッタクリバーと同じ構造なのだよ。
ところが、世の経営者や人事担当者は致命的な勘違いをしている。組織が「安定」していることを「健全」だと信じ込んでいるのだ。馬鹿みたいに。
物理学的に言えば、安定とは熱的死を意味する。全員が同じ方向を向き、同じルールに従い、波風が立たない状態。それは、もはや充電する能力すら失った劣化したスマホのバッテリーのようなものだ。画面上の表示は100%でも、動画サイトを一つ開いた瞬間にブラックアウトする。組織のエントロピーが最大化し、有効な仕事をする能力を完全に喪失した末路だ。我々が「伝統ある大企業」の重厚なカーペット敷きの廊下で嗅ぐ、あの独特の澱んだ空気の正体は、排出されずに蓄積されたエントロピーの加齢臭なのだよ。
ああ、隣の席を見てみろ。あの疲れ切った若者が、祈るように握りしめているその革の手帳を見てくれたまえ。中身が空っぽの意識を埋めるために、無理して買い求めたその手帳の物理的な重みだけが、彼がまだ社会と繋がっていると錯覚させてくれる唯一の重力なのだ。あんなものに必死で「今月の目標」を書き込んだところで、組織の熱力学的寿命が延びるわけでもないのに、哀れなことだ。
転移
組織がエネルギー枯渇の限界、つまり倒産の危機や市場の飽和に達したとき、彼らは決まって「事業転換(ピボット)」という魔法の言葉を唱える。これを聞くと、意識の高い連中は「華麗なる変身」を想像するらしい。だが、物理学的に言えば、それは「相転移」だ。水が沸騰して蒸気になるような優雅な変化ではない。
それは、かけ蕎麦を注文したはずが、店主の気まぐれと錯乱によって、背脂が親の仇のように盛られた二郎系ラーメンへと強制的に変貌させられるような、不可逆的で暴力的な構造変化である。
もっと俗な言い方をしようか。それは、浮気がバレた男が、土下座から突然逆ギレに転じる瞬間の「居直り」に似ている。「お前のためを思ってやったんだ!」と叫びながら、昨日までの倫理観をかなぐり捨てる。組織における相転移も同じだ。昨日まで「顧客第一、品質至上」と聖人のような顔で説いていた部長が、翌日の朝礼で「利益率こそ正義、金にならない客は切れ」と、口の端に脂を浮かべながら怒鳴り散らす。これが相転移の現実だ。
散逸構造理論において、系は微小な「ゆらぎ」がフィードバックによって増幅されることで、新たな秩序へと移行する。本来、この「ゆらぎ」は、現場の些細な違和感や、空気の読めない部下の進言であるはずだ。だが、脳がホメオスタシスを維持しようとするように、組織は変化を苦痛として感知し、これを「バグ」として排除する。既存の業務フローという神経回路を焼き切る行為は、あまりにも痛みを伴うからだ。
結果として、内部からの健全なゆらぎは押し殺され、外部からの圧力によって強制的に引き起こされる相転移だけが残る。それは、走行中の車のエンジンを載せ替える作業ではない。走行中の車を爆破し、その破片を空中で接着してドローンに作り変えようとする、正気の沙汰ではない試みなのだ。
冷却
さて、ここで現代の組織がすがりつく「シリコン製の救世主」について触れねばなるまい。多くの連中は、高度な計算機による自動化やデータ分析を「便利な道具」だと思っている。だが、情報幾何学の観点から見れば、それは組織という多様体の曲率を根本から変える、絶対零度の冷却装置だ。
かつて、組織の意思決定プロセスは、たかだか20ワット程度で動く人間の脳という、頼りない有機デバイスの並列処理に依存していた。そこには「忖度」や「嫉妬」、「義理人情」といった、計算資源の無駄遣いであるバグが混入していた。これを我々は「人間味」という美しい名前で呼んで、温かい熱源として共有してきたわけだ。
しかし、あの血の通わない自動算盤――膨大な過去データを継ぎ接ぎしたアルゴリズム――の統合は、このバグを許容しない。入力と出力の間のブラックボックスを、人間ではなく、より巨大で冷徹なシステムに置き換える。計算機による最適化は、組織内の無駄な熱(つまり人間性)を徹底的に排除し、系を強制的に冷却・再構成する。
このとき発生するのは、エントロピーの「外部化」だ。組織内部の意思決定はクリスタルレンズのように透明で高速になるが、その背後で、計算過程から弾き出された「意味の喪失」という汚染物質が、社会全体に垂れ流される。誰が書いたかもわからない、しかし統計的に「正解」とされる文章だけが量産される世界。
そこでは、決裁権を持つはずの人間すらも、単なる承認ボタンを押すだけのデバイスに成り下がる。経費で落とすことしか頭にない重役が、震える手で握りしめているモンブランの万年筆から滴るインクは、もはや契約書の署名のためではなく、リストラされた社員の血の色に似ているとは思わないか? 書くべき言葉を失った人間に握られる高級筆記具ほど、滑稽で哀れなものはない。
帰りたい。
結局、我々が「イノベーション」だの「DX」だのと騒いでいる現象は、宇宙全体の無秩序を加速させるための、ほんの局所的な足掻きに過ぎないのだ。どれだけ洗練されたシステムを導入しようと、どれだけドラスティックな相転移を遂げようと、最後に残るのは冷却しきれなかった残留熱――つまり、使い道のなくなった人間の、行き場のない寂寥感だけだ。
事業が成功すればするほど、その組織は冷たく、機能的な「死体」に近づいていく。相転移の果てに待っているのは、進化した未来ではなく、高度に最適化された静寂なのだよ。
おい、店員。もういい、会計だ。この冷めきった熱燗を眺めていると、自分が散逸構造の燃えカスになったような気分になる。

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